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時節を待ち家族で辛抱【金光新聞】

小児ぜんそくをおかげいただいて

 私(85)は23歳の時、金光教の教会で知り合った夫と結婚し、息子2人を授かりました。
 次男の淳は3歳の時、はしかにかかったことがきっかけで、小児ぜんそくにかかり、夜になると頻繁に発作を起こしました。私は一晩中、背中をさすり続け、そのまま朝を迎えることもしばしばでした。私と夫は、教会でお取次を願いましたが、症状はなかなか好転しません。わが子の苦しんでいる姿を見守るしかできないことほど、つらいものはありません。
 そのような中で、夫が運送業を始めました。仕事は順調でしたが、淳の病気がよくなる気配はありません。看病疲れと仕事の忙しさもあり、私と夫は「もう治らないのかもしれない」と、悲観的になることもありました。私たち夫婦が、神様にすがるような思いで教会へ参拝すると、先生はよく、「物事に時節を待たず苦をすること」とみ教えを下さいました。先生が「子どもの病気を通して、信心することの大切さに気付いてほしい」と願ってくださるありがたさを感じる一方で、本当に時節が来るのだろうかと半信半疑でした。

 ところが、淳が中学生になると少しずつ症状が治まり、教会にお参りすると、先生は「病気が治ったのがありがたいのではない。いつも健康であることを喜びましょう」と、み教えくださるようになりました。体調が良くなるにつれ、今までのことを忘れがちになりますが、発作が時々起きるたびにみ教えを思い出し、改めて健康のありがたさをかみしめました。
 高校生になると、ほとんど発作も出なくなり、激しい運動もできるようになりました。このことによって、「物事に時節を待たず苦をすること」というみ教えの意味がやっと理解できたように思います。淳の病気を通して、信心することの意味を分からせて頂きました。

時節を待つことの大切さ

 成人した淳は、夫の会社を継ぎ、社長に就任しました。夫がトラック1台から始めた仕事でしたが、淳が引き継ぐ頃には30人ほどの従業員を抱える会社になっていました。しかし、淳には気負いもあったのでしょう。効率的に利益を出したいと焦った結果、周りと隔たりができ、信頼していた優秀な社員が辞めてしまう事態になりました。
 落ち込む淳の姿を見ているうちに、私はふと、「物事に時節を待たず苦をすること」のみ教えを思い出しました。私は淳に、そのみ教えとともに、「今は焦らないで、コツコツと続けていけば必ず良いことになるから。社員さんや地域の人たちを大切にしてあげなさい」と伝えました。すると、淳は幼い頃の自分の体験とも重ね合わせながら、素直に聞き入れてくれたのです。
 それからは、「安全を第一に、無駄をなくし、人と物を大切にする」ことを経営方針にし、その実現のために尽力しました。現在では、社員も増えて経営も安定し、社員寮や社宅の充実、社員の家族のための保育園や高齢者シェアハウスの設置にも力を注いでいます。

 振り返ると、 あの長い苦しみを家族で乗り越えたからこそ、今の私たちがあるのだとつくづく思います。あまり信心気のなかった淳も、5年前に夫が亡くなってからは、教会で仕えられる霊祭に参拝するようになりました。今後も、夫のみたま様に日々お礼をし、人に喜んでもらうことを自分の喜びとするような仕事をしてもらえたらと思います。

※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています

「心に届く信心真話」2019年7月28日号掲載
メディア 文字 金光新聞 信心真話 

投稿日時:2020/08/17 07:11:13.499 GMT+9



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