title.jpg

HOME › 神様のお恵みに包まれ【金光新聞】

神様のお恵みに包まれ【金光新聞】

義父母の気持ちがわからない

 65年前、私(90)は、金光教の信心を代々している農家に嫁ぎました。
 義父母はいつも「お参りせにゃ」と、教会参拝を勧めてきましたが、信心することの意味を知らずに生きてきた私は、その言葉を煩わしく感じていました。また、みんなが働いている昼間から参拝する義父母の気持ちが全く分からず、私はいつも口実をつけては断っていました。
 そして、義母は教会のお祭りの日になると、朝一番に神様へお供えする野菜を採り、丁寧に洗って、お供えの準備を始めるのです。私はその姿を横目に見ては、あきれていました。

 それから30年後のことです。私の長男が事業に失敗し、多額の借金を抱えてしまいました。困り果てた私は、意を決して、家の田畑を売らせてほしい、と義父母にお願いしました。すると、義母は何の迷いも見せず、こう答えました。
 「先祖代々の土地と言っても、天地の親神様からお預りしている土地じゃ。お役に立つのなら、神様にお断りを申して売らせてもらったらいい」
 思いも掛けない返事に私は驚き、感謝でいっぱいになりましたが、一方で「あれだけ神様とご先祖様を大切にしていたのに本当にいいのかな」と、不思議にも思いました。
 これがきっかけで、私は義母と一緒に参拝するようになりました。

お供えを途切れないように

 その8年後、義母は亡くなりました。なんとなく参拝を続ける中で、ふと、「お義母さんや、ご先祖様に喜んでもらうには、私がこの先もお参りを続けるのが一番なのかも」と思え、義母に習って、自分で育てたお花を教会のお祭り日のたびにお供えさせて頂くことにしました。
 ところが、お供えを途切れないようにするには種まきや球根植え、株分けと、年中、気を配らないといけません。義母が当たり前のように続けていたことが、実は大変なことだったのだと分かったのです。
 お供えを続ける中で、もう一つ分かったことがありました。花の咲かない時期、「神様、みたま様に喜んで頂きたい」と願って、畑や山に行くと、不思議と木の実やきれいな葉に出合いました。また、春には草がよく茂るので、「これは花どころではない」と、草を抜こうとすると、草の間から、見たことのない美しい花が、すっと伸びていたこともありました。
 さらに、冬の間、「もう咲かないかな」と諦めていた花も、春が来ると、ちゃんと芽が出て、きれいに咲くのです。私は思わず「ありがとう、ありがとう。ここにも生きていたか」と、お花にお礼を言っては、神様にお供えさせて頂きました。

 振り返ると、願う中で出合った全てのお花たちは、神様が私に引き合わせてくださったのだと思えてならないのです。
 それまでの私は、農作業も食事も、何でも自分の力でできていると思っていました。けれども、助けてもらった義母のまね事を続ける中で、天地の神様のお恵み、お働きに包まれて、さまざまなことができ得ているということを、この年齢になって、ようやく分からせて頂きました。そして、義父母が参拝を続けていたのもそういう意味があったのだと感じさせて頂きました。
 明日は教会のお祭り日です。夏の日差しがよく似合う真っ赤なカンナの花が咲きました。
 気が付けば、「神様、お義母さん、明日もお供えさせて頂きますね」と願う私がいます。

※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています

「心に届く信心真話」2019年8月11日号掲載
メディア 文字 金光新聞 信心真話 

投稿日時:2020/08/19 06:26:17.074 GMT+9



このページの先頭へ