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信心のまなざしで見る新型コロナ問題②【金光新聞】

「天地の道理」に沿って生きる

 昨年末頃から流行し、日本にも上陸した「新型コロナウイルス感染症」は世界中にまん延してやみません。
 新聞やテレビで連日、コロナ禍(か)について報道する様子に、私はムラムラと怒りを覚えます。青年時代「男は一生に三度泣く」「人は一年に三度怒る」という言葉を覚えました。一度は家族身内へ、二度目は自分に、三度目は社会にというものです。新型コロナウイルスについて、さまざまな見解や意見を見聞きしますが、いずれにしても、私たち人間の「我(わ)が力で」「自分さえよければ」という行き過ぎた在り方が、こうした問題を引き起こしているのではないかと思うと、怒りが込み上げてきます。
 このような中でありますが、私は何のために信心しているのかと自問自答、確認を試みます。教祖様は42歳の大患の時、神様へ、あの苦しみの中にあっても「これで済んだとは思いません」と言われた姿勢から、神様は「この方(教祖)なら私の苦しみ・悲しみを救ってくれるに違いない」と期待し、その後、「天地金乃神を助けてくれ」(立教神伝)とおっしゃったのでありましょう。まさに天地金乃神様ご出現の決定的瞬間であり、本教の原点そのものだと思います。

 神様が赤沢文治(教祖様)に出会った時の喜び、感激のほどは「もう、その方の心は動かぬということを神が認めた。その方の口と姿とを貸してくれ。神が天地の理を説いて、安心の道を授けてやる」(大喜田喜三郎の伝え)との伝えから明らかにうかがえます。
 神様の悲しみ・憂いは、天地の道理を大切にせず「我が力で何事もやる」という人間の在り方でありますから、教祖様と同様に「天地の道理に基づく生き方」という神様の願いを自分の願いとし、ここにわが身を置くことこそが、信心の目的に他ならないと思います。
 今日の社会の中で、「天地の道理」に沿った生き方をすることはなかなか容易ではありませんが、世界中の人は皆、「神の子」同士です。一人一人がそれぞれの立場で、「道理を道理たらしめる」努力と祈りが、立ち行く道・おかげの道、まさに「神人の道」へと進むことであると思うこの頃です。
 去る7月16日、将棋の最年少タイトルを獲得した藤井聡太新棋聖について、「生活の中に将棋があるのではなく、将棋の中に自分が生きている」と、報道されているのを目にし、私は共感しました。
 教祖様がまさに「神様の中で生きられご用くだされていた」と理解しています。世の中はコロナ禍でありますが、どんな時でありましても、私も教会も「神様の中で生きる」を信条に、「神の助かり」、神の願いを現すご用に努めていきたいと、願いを新たにしています。


七尾 新作(秋田県二ツ井教会長)
「信心のまなざしで見る新型コロナ問題」金光新聞2020年8月16日号掲載

投稿日時:2020/08/31 11:02:49.858 GMT+9



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