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秋季霊祭をお迎えして 親の姿の奥にあるもの

金光教報 「天地」9月号 巻頭言

 霊祭の季節を迎えて、親先祖をはじめ、関わりある霊様のことをあらためて思う。とりわけ、親の思いというのは、子どもが思う以上に広く深い。生前中のさまざまな場面に思いをはせる時、その思いの一端に気付かせられることがある。
 「親が生きている時に今の思いがあれば、もう少しよいありようがあったのに…」と自責の念に駆られることも多い。また、そうした体験を重ねながら、「今の自分のありようを親先祖は喜んでくれているだろうか」という思いにもならされる。
 ある先師は、幼少の頃の大病を母親の祈りによって助けられた。その体験から、「私たちは普通の親子とは違う」という思いで人一倍に親孝行され、母親も子どもの行き届いたありようを心から喜んで、「私ほど幸せな者はない」と人に語っていたという。その母親がお国替えする少し前に、師を枕元へ呼び、次のように話された。
 「あなたが疱ほう瘡そうを患って、いよいよ難しいという時に、私は神様に願がんをかけた。この4歳足らずの子を助けていただきましたら、一生涯ご恩を忘れませんと願った。そうして、それから20数年間このかた、毎日毎日降っても照っても、神様へお礼参りを続けた。その後、年を取ってどうも足元が危ないので、門口まで出て、門口からお礼を申し上げた。今日からは、そのお礼ができなくなった。これからは、あなたがその心持ちを受け継がねばならんぞ」
 この言葉に、師は初めて親の思いを知り、孝行と思ってしてきたことを母が心から喜びつつも、母にとっては、どこまでもあの日助けられた神様のおかげがあってのことであり、そのご恩を決して忘れてはならないということを、最後の教えとして語ってくれたのである。
 師はそのことを受けて、あらためて神様のおかげで今の自分があるということを思わせられ、親の恩と神様の大恩に報いる生き方を、教祖様の信心に求めつつ歩まれたという。
 私たちもまた、この先師の母親が語ったような信心のまなざしをもって、自分の経験を見直した時、それまでとは違った広く大きな神様に出会わせられる。
 さらには、親先祖をとおして神様のみ思いを感じるにとどまらず、日常生活においても、神様は常に広く大きな世界へ私たちをいざなおうとしてくださっていて、そのための手掛かりを神様は幾度となく用意されているし、気付いてほしいと願われている。
 そうした広く大きな神様に出会うために、祖先から自分へ運ばれてきた「いのち」という大きな流れの中で、あらためて自分の経験を整理していく営みが大切になる。あの時、神様がどのようにお働きくだされたのか、神様のみ思いはどこにあったのか、そうした神様との物語を編み直すこと、そして、それを子孫や関わりある人たちに確かに語っていくことが、霊祭の大切な中身だと思わせられる。

投稿日時:2020/09/01 09:06:05.591 GMT+9



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