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信心のまなざしで見る新型コロナ問題③【金光新聞】

お広前で心の静けさ取り戻す

 「ここは、変わりませんね」教会のお結界で、こんなふうにおっしゃった方がいました。緊急事態宣言中のこと、外出もはばかられ、お参りもしばらくぶりでした。今から持病のお薬をもらいにお医者さんに行って、必要な買い物だけ済ませて、すぐ家に帰るとのことでした。
 とはいえ、教会も全く変わっていないわけではありません。入り口の扉は接触防止のために開放し、消毒液も設置してあります。参拝者席の椅子は減らして間隔を広く取ってあります。換気のために窓は全開にし、お結界には飛沫(ひまつ)防止のアクリルパネルも置きました。何より、お祭りの参拝もご遠慮頂いている中でのことでした。
 それでも、その方は「変わりませんね」と、そして「ここは、静かですね」と、ほっとしたように、マスク越しに言うのです。
 そう。教会は静かです。むしろ、世間がにぎやかだった頃から静かでした。そして、コロナによる自粛となった時、こんな地方の街でさえ、人足はまばらになり、商店街にも休業が目立ちました。車の往来も激減しました。気が付けば、街は、静かになってしまいました。教会は、相変わらず静かです。

 あの頃、目に入るのは、「あそこで何人、ここでクラスターが」といった情報ばかり。耳に入るのは、「近くのどこそこで」といううわさばかり。それは、不安にも疑心暗鬼にもなります。街は静かになってしまったけれど、そんなふうに世間はざわざわと騒々しかったのです。「ここは、静か」と言われたのは、そういう〝騒々しさ〟に対してのことだったのでしょう。
 また、新型コロナによるダメージはあまりにも大きく、世界はもう元には戻らないのではないか。以前の生活を取り戻すことはできないのではないか。そんな思いが世の中を覆っていました。そんな息の詰まるような空気の中で、お広前は相変わらず静かなまま、ここにある。「変わらない」と感じられたのは、そういうことだったのでしょう。
 そして、「ここは、変わらない」「ここは、静か」と、教会の様子を表す言葉で表現された内容は、実は、その方の心のありよう、つまり「変わらない心」「静かな心」ということだったのではないかとも思うのです。一人でお広前に身を置き、ご神前に向かわれた時に、心の奥の方にあった変わらない大切なところに光が届き、心の静けさを取り戻すことができたのではないかと。あのほっとしたようなまなざしは、そういうことだったのだと思うのです。
 もちろん、このことだけで、不安や心配や不信が、雲散霧消してしまうわけでもありません。人間、生身ですから、目や耳から入ってくるものに左右されずにいることは難しいでしょう。でも、こういうところに、ご信心の尊い働きがあるように思うのです。

水野 照雄(三重県松阪新町教会長)
「信心のまなざしで見る新型コロナ問題」金光新聞2020年8月16日号掲載

投稿日時:2020/09/07 10:00:37.587 GMT+9



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