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心安らぐ場を皆さんに【金光新聞】

父は名人だった

 私(55)の父が亡くなった時、近所の蓮田さんという方が「どうしてもお礼を言いたい。弔辞を読せてほしい」と言ってきました。
 訳を尋ねると、「私は周囲から偏屈者と言われて敬遠されていましたが、ある時、世間話をしにいらしたお父さんの人柄に引かれ、思わず『老人会に入れてください』と言ってしまいました。老人会の初めてのバス旅行の時、お父さんは、私が衛生兵だったことを覚えていてくれて、救護係を任せてくださり、何かとお心を配って皆さんとの溝を埋めてくださいました。今、こうして皆さんと楽しく過ごしていられるのもお父さんのおかげです」と話してくださいました。
 葬儀では、いろんな方が父とのエピソードを話してくださり、父はそれぞれの方の長所を引き出し、心の落ち着く場所を見つける名人だったんだと、驚いたものです。

 父は30歳の頃、熱心に信心をしていた母の影響で金光教に入信しました。
 国有林の管理をする森林官だった父は、出世をすることが家族の幸せにつながると思い込んでいました。34歳の若さで営林署長を拝命したのですが、その直後から耳に激痛が走るようになり、医師に診てもらうと、中耳の軟骨が膿で変形しているので、手術が必要だと診断されたのです。
 「長期入院は左遷につながる。自分の人生はここまでか…」と悩んだ父でしたが、助かりたい一心から、神様の力を試してみようと思い立ち、「神様、おかげを見せてください。ここで治してくださったら一生神様を信じます」と、一心に願うようになりました。必死に願い続けて1週間後、再び検査を受けると、不思議なことに治っており、手術もせずに済んだのです。
 理屈ではない神様の働きを目の当たりにし、父は信心による助かりというものをひたすら求めるようになりました。疑問に思うことは教会の先生に尋ね、各地で講演や教話があればどこへでも飛んでいきました。

皆が心穏やかに

 そんな父が思い至ったのは「此方(このかた)の行は水や火の行ではない。家業の業ぞ」という教祖様のみ教えを、サラリーマンとしてどう捉え、仕事や生活の中で現していくか、ということでした。とにかくみ教えを実践してみようと、お取次を願いながら、相手の立場に立って物事を考え、お互いを生かし合う道を求めるようになりました。
 すると、人との信頼関係が深まり、自分も人も助かっていくのです。そうして、さまざまな難局に直面するたびに、神様が自分にかけてくださる願いを分からせてもらうことが楽しみとなり、自分の心の中の神様(分けみたま)が大きくなっていくことを実感するのが、父の生きがいになりました。

 自分の中の神様がはっきりすると、人の助かりを願わずにおられなくなる」。そう言っていた父は、70歳を過ぎてから「世の中には寂しい人生を送っている人が大勢いる。そこに行けば心から安らげる『心のふるさと』のような場を皆さんに提供し、心穏やかに暮らしてもらいたい」と、地域の老人会、学校や職場の同窓会、教会の活動や金光教ペンクラブなど、さまざまな場で幹事や世話役を引き受けていました。冒頭の蓮田さんも、そんな活動から出会った方でした。
 父にはとうてい及びませんが、少しでも父の生き方に近づきたいと願ってやみません。

※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています

(「心に届く信心真話」2019年9月22日号掲載)
メディア 文字 金光新聞 信心真話 

投稿日時:2020/10/28 16:13:07.667 GMT+9



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