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第10回 神様がお上の支配を受け…【信心と理屈の間で】

時の政治権力に翻弄されてきた宗教

イラスト・奥原しんこ
かんべむさし(SF作家)
 昔から洋の東西を問わず、宗教が時の政治権力によって、弾圧された例は多い。日本では江戸時代のキリシタン弾圧や「島原の乱」が有名で、宣教師や信者多数が、苛酷な取り調べや拷問で殺された。そして、同様の例は昭和の戦前戦中期にもあり、複数の宗教がその対象にされた。
 それらについて、筆者は詳細な知識を持っておらず、論や説を構築できる能力もない。だからここでは、個人的な思考と想像のみを書かせて頂く。
 歴史年表で昭和10年から15年までを見ると、天皇機関説事件、大本教検挙、ひとのみち教団検挙、文部省「国体の本義」を編さんなどの項目が目立つ。日中間の戦争が拡大していた時代、国策の圧力が、学術・宗教・思想にも及んでいたのだ。大本教など、大正末期に次ぐ2度目の大弾圧で、本部の神殿も爆破された。他の宗教でも、逮捕されて拷問を受け、投獄された信者は少なくない。
 そもそも政治権力とは、とにかく国民を「従わせよう」とするもので、右も左も、独裁の度合いが強い体制ほど、それがひどくなる。当時の日本は「天皇帰一」を掲げつつ、軍部独裁色を強めていたから、それに反する価値体系は、たたきつぶすべきものだったのだ。
『兵役を拒否した日本人』(稲垣真美。岩波新書)には、その時代に召集されたキリスト者が、「なんじ殺すなかれの教えを守りたいので」と、銃を返納した話が出てくる。法律や通念とは別の価値観による、そんな行為を許していたら、国家の方針が根底から崩壊する。だから彼も軍法会議にかけられ、陸軍刑務所にぶち込まれることになった。
 この時代の日本は、金光教の教典にある、「神様があってお上ができたのである。それであるのに、お上ができたら、神様がお上の支配を受けることになる」という、その教え通りの社会だったのである。
 往年、筆者はキリスト教系の大学に通い、関連する必修講義も受けていた。出欠を取るから仕方なくだったが、一つだけ覚えている話がある。担当教授が戦前戦中には、同系統の別大学で教えていた。当時のことで、そこにも配属将校がおり、その彼があるとき、「天皇陛下とキリストと、どちらが偉いと思うか」と、詰問してきたというのだ。
 それに対して教授は、聖徳太子の「三宝を深く敬え。三宝とは、仏と法と僧である」という教えを引き、聖武天皇が仏教をあつく信仰して、東大寺や各地の国分寺を建立した話もしたという。筆者の記憶が曖昧だが、つまり教授は、宗教や宗教家は天皇でさえ崇敬なさる対象なのだから、そんな質問は逆に陛下に対して失礼に当たるのではありませんかと、やんわり諭したらしい。配属将校は、「いやそれは」とか何とか、口を濁したというのだった。
 そしていま、その将校の心理を作家として想像してみると、とにかく国家の体制に反するような宗教や、それを信じている人間が、腹立たしくて仕方がなかったのだろう。挙国一致で国難に当たっているこのときに、愛だ何だと説くとは何事か。日本人は日本人らしく、天皇陛下を神とあがめ奉っていれば、それでいいのだ。この非国民めが!
 とまあ、そんな心理だったのだろうし、当時の天皇は現人神(あらひとがみ)であり、軍人にとっては統率機構の最上位にある、大元帥でもあった。そしてその配属将校は、主観的には「忠義の臣」の一人として、自身の思考に一点の疑いも、持ってはいなかったのだろう。しかし、教授が予想外の答えを返してきたので、何か虚を突かれた感を受け、それで口を濁したのではないかと思われる。
 さらに想像すれば、そうやって口を濁したのは、彼の意識下に、ある種の弱点があった故かもしれない。実は自分でも、宗教というものが何か気になっているのだが、それを抑え込んでいたのか。それとも、強固に形成した自身の軍人像に、かすかにながら、もろさのようなものを感じていたのか。それは分からないが、その教授は好運だった。相手がもっと凝り固まった軍人だったら、「理屈を言うな!」と殴り倒されていたに違いないのだ。
 ちなみに、そうやって神様扱いされていた天皇自身は、そのことをどう思っていたのかであるが、『昭和天皇独白録』(文春文庫)に、次のような言葉がある。
「又、現神(あきつかみ)の問題であるが、本庄だつたか宇佐美だつたか、私を神だと云(い)ふから、私は普通の人間と人体の構造が同じだから神ではない。そういふ事を云はれては迷惑だと云つた事がある」
 仮名遣いは原文のままであり、本庄も宇佐美も侍従武官長だった陸軍中将。この述懐によって、当時の軍人たちが、本人の意思に反して天皇を神に仕立て上げ、それを国民にも強制していた構造が見えてくる。
 何にせよ、こうやって概観するだけで、政治権力というものは、価値体系がまったく異なった対象まで、その支配下に置こうとするのだということが、よくわかる。そして太平洋戦争中には、ごく少数の宗派以外、金光教も含めた大方の宗教が、それに協力していた(させられていた)のも、記録に残る史実なのである。
 そして、以上のことをもとに、想像を自身に向けて、筆者は考える。「もし弾圧や拷問を受け、信心を棄(す)てろと云われたら、自分はそれを拒否できるだろうか」
 恥ずかしながら、その自信はない。まあ、面従腹背くらいはするだろうが。

「金光新聞」2019年10月27日号掲載

投稿日時:2020/11/09 11:45:46.147 GMT+9



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