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第11回 「良くない」信者なりの矜持【信心と理屈の間で】

信心という名の山、頂きへの道のり

イラスト・奥原しんこ
かんべむさし(SF作家)
 金光教の信心で目指す方向、到達すべき理想像について、書かせて頂く。ただし無論、筆者がそれらを本当に分かって、実行できているわけではない。「このように教えられております」という紹介と、その山頂を見上げて麓(ふもと)でうろうろしている、自分の姿のスケッチである。
 また、同じ金光教でも教会の系列によって、教えの重点や説き方に、さまざまな差異があるという。だからここでは、筆者が通わせて頂いている、玉水教会のそれを題材にさせて頂く。玉水教会の初代教会長だった湯川安太郎師は、次のように教えている。
「信心は理屈を超越して、神霊に向かって肉迫していくことだ」
「たとえどう生かされようとも、神様の思し召し(おぼしめし)のままに生きさせていただきますというのが、信心する者の行き着くべき姿だ」
「われわれは、死んでから仏になる稽古をしているのではない。生きてるうちに神になる稽古をしておるのです」
 そして二代教会長・湯川茂師は、先代のその信心姿勢を、こう語っている。
「先生は神様の仰せを守りとおした人です。たとえ死ぬようなことがあっても、良いことがあろうが、悪いことがあろうが、どこまでも教えのとおり貫いていかれました。しかし、そんなことくらい私でもやりますと言うのなら、まあ、やってごらん」
 末尾の「まあ、やってごらん」という言葉には、大変な重みがあると思うのだが、とにかく神様の仰せを守り通し、教えの通り貫いていったら、どうなったか。昭和6(1931)年9月某日の記録では、その一日に取次を願った信者の数が、4173人ということになっていた。
 しかも安太郎師は、その祈念について言っている。
「それらの願いを、神様は二十分間で聞いてくださいました。ひとつずつお願いしたら、寝ずにやって三日もかかるのを、一遍に二十分で聞いてくださった。それは、向こう(信者たち)のことを思う念が強かったがゆえに、神様が私を思うてくださる思し召しが強かったからです」
 同じ時代の参拝者数が、平日の一日で9852人という記録もあり、人に言えば「うそでしょう」と言われそうな数字である。しかしとにかく、これらの言葉で高く峻厳(しゅんげん)な山の頂上と、そこへの登り方がお分かり頂け、同時に、冒頭に書いた「麓でうろうろ」という当方の姿も、お察し頂けたことと思う。
 だから筆者は、金光教関係の原稿やラジオの談話などでは、大抵、「実は私は、あまり良い信者ではありません」という、注釈を加えている。右に書いた山の例で考えれば、それが謙遜ではなく事実であることは明白なのだが、おまけに仕事柄、常にどんなことでも、「考えてしまう」癖がついている。安太郎師の「理屈を超越して」という教えに、抵触し続けているわけで、その意味でも「良くない」信者なのである。
 ただし、以下は当方の身びいき思考になるが、そうやって考えることで、「人に説明しやすくなる」というメリットも、生まれてくるはずだと考える。今年お話をさせてもらったラジオ番組「金光教の時間」は、信奉者だけではなく、世間一般の人も聞いている。
「金光教について何の知識もない人、それどころか、宗教に警戒や拒否の感を持っている人々に、何をどう説明すれば、理解や納得をしてもらえるだろう」
 その前提で考え、談話を構成していくのは、いわば本職の作業だから、何でも考えてしまうという癖も、生かし方があると言えるのだ。
 とはいえ当方、それによって教示教導をという、そんな大それたことはできない。あくまでも、「教会の玄関までは案内しますので、その先が知りたい方は、どうぞ中に入って、先生にお聞きください」という姿勢なのである。
 なお、「あまり良い信者ではない」という認識に関して、さらに書かせて頂くなら、これは「本当に良い」信者ではないという意味である。そして筆者の内心には対比例として、「いかにも良さそうな」信者という立場があり、それを忌避する念も強くある。
 どんな宗教においてもだが、いかにも良さそうな信者とは、教えの受容と実行を熱烈に説き、仰ぐべき存在には全面的な崇敬をしておりますという、そんな言動を日々示して、しかもそれが「無意識のうそ」であることに、まったく気付いてない存在のことである。
 その種の人間が、複数の宗教を渡り歩く事例もあるそうで、なぜかと言えば、入信後短期間で信者組織の役員になったりするのだが、立派過ぎる言動に周囲が違和感を覚え、そのうち敬遠しだすからだという。すると孤立した彼は、次の場を求めて別宗教に行くわけで、要するに、自己顕示欲やちっぽけな権力欲を、宗教の世界で満たそうとしているだけの俗物にすぎない。当方、そんな信者にだけは、なりたくないのである。
 ともあれ、高い山の頂上と、その麓でうろうろしている自分の姿を書いてきたが、冒頭に紹介した湯川安太郎師の言葉の中では、筆者は、「われわれは、死んでから仏になる稽古をしているのではない。生きてるうちに神になる稽古をしておるのです」という教えが好きである。誤解を招きそうな言い方になるが、「おもしろいなあ!」と思うのだ。無論、自分がそうなれるとは露ほども思っておらず、麓で一生を終えるに違いないのだが。

「金光新聞」2019年11月24日号掲載

投稿日時:2020/11/30 13:52:19.156 GMT+9



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