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神様の守りの中で登校【金光新聞】

母に促され教会に

 私(32)が高校2年生の時のことです。夏休みが終わり2学期が始まると、なぜか、学校に行けなくなりました。登校しようとすると、吐き気や目まいに襲われるのです。病院で診察してもらいましたが、原因は分かりません。登校しなければ、という思いが強かっただけに、学校に行けないことへの罪悪感から、自分のことが情けなくなってしまいました。
 母は「無理して行かなくても、そのうち良くなるから休んでいいよ」と言ってくれました。でもその言葉とは裏腹に、「早く学校に行ってほしい」という気持ちがひしひしと伝わってくるのです。それが重荷となり、私はますます部屋に閉じこもりがちになり、あっという間に3週間がたっていました。母に促されて私が教会に参拝したのは、そんな頃でした。教会の先生は、母から事の次第を聞いていたようですが、先入観にとらわれず、私の話を最後までじっくり聞いてくださいました。しっかり者の長女としていつも頑張ってきた反面、親にうまく甘えられなかったこと、学校に行けない自分にがっかりしている気持ちなど、私の悩みをとことん聞いてくれました。単にわがままや横着だと思われるのではないかと不安に思っていましたが、特に奥さま先生が、自らのつらかった体験とも重ね合わせながら、深い心の苦しみとして、丸ごと受け止めてくださったのです。
 教会に参拝したおかげで、胸のつかえが取れたように感じましたが、それでも学校へは行けませんでした。その間、教会に通うようになり、先生ご夫妻に話を聞いてもらったり、教会で勉強したりしていました。


 

私のペースで一歩ずつ…

 秋が深まる頃、インターネットで調べた東京の心療内科で診察を受けたいと思うようになり、周囲に相談しました。遠距離にある病院だったので、反対されるかもと思いましたが、奥さま先生が付き添ってくれ、受診することができました。医師は「もう回復しつつあります。大丈夫ですよ」と言ってくれ、心が軽くなりました。
 ある日、先生ご夫妻がドライブに誘ってくれました。先生は、わざわざ学校の前を車で通ってくれ、そのおかげで久しぶりに自分の目で校舎を見ることができました。それからまた2週間ほどたつと、今度は「きょうは学校に行ってみよう」と言われ、その時、私は「先生と神様が一緒なら行けるかも。よし行ってみよう」という思いが湧いてきたのです。
 先生が校門の前に車を止めてくださり、私は一人で校舎に入りました。教室に着き、ドキドキしながら戸を開けると誰もいません。体育の授業中だと思い当たりました。
 がらんとした教室で自分の席に座り、ぼんやり周りを見回していると、「みんなが教室にいたら、私は思わず逃げ出していたかもしれない。私のペースで一歩ずつ進めるよう、神様が守ってくださったんだ」と思えました。その日以来、少しずつ学校に行けるようになりました。
 不登校になるまでの私は、教会にお参りしても、ただ神前で神様を拝み、お結界で型通りのお礼とお願いをするだけでした。しかしこの体験を機に、教会の先生に心の内を素直に打ち明け、神様に願い事や悩みを聞いてもらうことが大切なのだと分かりました。あれから10年以上たちますが、神様と共にここからの生き方を求めていく稽古に今も取り組んでいます。

※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています

(「心に届く信心真話」2019年10月27日号掲載)
メディア 文字 信心真話 金光新聞 

投稿日時:2020/12/01 20:04:35.582 GMT+9



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