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先人の神人物語に学ぶ

金光教報 「天地」12月号 巻頭言

 令和2年も余すところ1カ月となった。
 今年は、新型コロナウイルス感染症の影響で、世界中が大きく変わり、今もなお、その変化のただ中にある。けれども、そのような中にも天地のお働きは1日も休むことなく季節は巡り、私たちは神様のお恵みの中に今日まで命を頂いている。そのお礼の心を土台にして、感染症の終息と、ここからの立ち行きを願わせていただきたい。
 来る12月13日には、布教功労者報徳祭が仕えられる。布教功労者とお称えするご霊神様方は、教祖様の「神様との縦軸をもって、神様のみ祈りとみ働きを現されたご信心」をお手本にして、自らも神様との縦軸を求め現された。 そして、神様に助けられた実感をもって、難儀を抱えて参拝された方々に、自らが取次がれた神様を手渡され、そこから多くの方々が助かりの道へといざなわれた。ご祭典をお迎えするに当たり、先人たちのご遺徳を偲(しの)び、そのご姿勢を頂いてまいりたい。
 ある先師は、信心のご縁を頂いて30年を迎えた節に、師匠と共にお祝いのお祭りを仕えられた。祭典を終え、師匠が帰られた後、自分の書斎に行くと、机の上には師から託された短冊が置いてあった。そこには、「われよしと思ふこころに欺(あざむ)かれ前途(ゆくて)の道をあやまるなゆめ」とのお歌がしたためられていた。
 先師には、祝祭には多くの参拝者があり、教会もここまでになったか、との思いが少なからずあった。しかし、「自分をよしとしがちな心を改めて、神様のおかげでの御事(おんこと)と受け止めてくれよ」との師匠の願いを強く感じ、神様のお働きの中にある自分であるとの思いを新たにして御用に当たられた。
 以来、おかげを受けた参拝者が、「先生のおかげです」とお届けしても、先師は、「私じゃないばい。神様ばい」と、どこまでも神様との縦軸を貫かれようとなさり、参拝者にもその大切さを伝え続けられた。
 後年、先師は師匠のお歌を書にされた。師の読まれた歌の左端に、「我師(わがし) 、われを戒め給ひし、御歌を」と書かれ、師匠が自分に掛けてくださった願いと同様の願いを、弟子たちにも掛けられたという。
 この先師が語った信心は書籍にもなっているが、その中には、「わが身がわが自由にならぬものぞ」「障子一重がままならぬ人の身ぞ」「わが身は神徳の中に生かされてあり」との教祖様のみ教えが数多く出てくる。そこには、「我よしとすることは、おかげを下さった神様を欺くことになり、神の氏子である自分をも欺くことになる」との信念があられたのだろう。そして、教祖様のご信心をお手本に、師匠との関わりの中で神様との縦軸を求め、弟子にもそれを手渡そうとされた信心の歩みは、先師の神人物語にほかならない。
 今を生きる私たちも、神様のみ祈りを身いっぱいに受けている。お道の先輩たちが求め現された神人物語に学びつつ、今日までの信心を整理することで、おかげに込められた神様のみ心に出会うことができる。さらには、神様との縦軸がより確かなものになっていく。
 明年は、前教主・金光鑑太郎君30年、教主金光様ご神勤30年のお年柄をお迎えする。一人ひとりの生活に、「神人の道」が現れてくることを願い、元気な心でお迎えしたいものである。

投稿日時:2020/12/03 09:04:51.634 GMT+9



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