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野球とご用に人生捧げ【金光新聞】

選手、球団、教会

 浩さん(享年83)は、元プロ野球選手です。その巨体から繰り出す豪快なバッティングで、球団草創期を支えた4番バッターでした。純朴な球児がそのままプロになったような実直な選手でしたが、皆から親しみをもって愛される選手でもありました。
 入団6年目に金光教の信奉者だった多賀子さんと結婚した浩さんは、新婚旅行から帰ってくるなり、妻に連れられて教会に参拝しました。初めて金光教を知った浩さんでしたが、神様の祭られたお広前の雰囲気に心地良さを感じ、以来、神様に手を合わせる生活を送るようになりました。そして、毎年年末には教会の先生を自宅に招き、シーズンを無事に過ごせたお礼のお祭りを仕えてもらうようになりました。
 現役を引退した後は、コーチや2軍監督を務め、若い選手の育成に尽力しました。若者を育てるのは難しく、苦労が多い反面、とてもやりがいを感じていました。選手たちがけがをしないようにと神様にお願いし、選手には「毎日元気だということは、神様が守ってくださってのことだから、お宮などの前を通り掛かった時は感謝の気持ちで手を合わせなさい」と教えていたそうです。

 浩さんが球団での職を引いて数年後、教会の先生が50歳という若さで亡くなってしまいました。先生の息子の正志先生は当時20歳で、まだ金光教の教師ではありませんでした。
 先生は亡くなる1カ月ほど前、月例祭が終わり皆で茶話会をしていた時、正志先生と浩さんをお結界に呼び、「後のことは頼む」と、唐突に二人に言い渡しました。その時は何のことを言われているのか、分からなかったのですが、遺言だったのだと気付き、先生亡き後の教会を支えていこうと決心を固めました。
 祭典の準備や片付けでは、先頭に立ってご用をし、教会での午前10時の勢祈念に毎日参拝して、球団の試合日程が書いてある手帳を広げてチーム、選手の立ち行きを一生懸命お願いするようになりました。そのような純粋に神様に向かう浩さんの姿は、周りの信者さんそれぞれにとって、教会がいかに大切な場所なのかを気付かせていく働きがありました。

神様のお役に立つ者でしたら...

 今から9年前、教会の勢祈念に参拝していた浩さんが突然倒れました。意識がなくなり、瞬く間に体は冷たくなっていきました。心臓発作を起こして、心肺停止状態になったのです。すぐに救急車が呼ばれ、病院に搬送される道中に何とか心臓は動き出しましたが、意識は戻らないままでした。医師からは「3日間が山」と告げられました。
 妻の多賀子さんは、改めてお結界で「神様のお役に立つ者でしたら、どうぞお生かしください」とお願いをしました。正志先生は「これまでおかげを頂いてきてのことです。そのお礼を申して、お願いさせて頂きましょう」と話し、一緒に何度もご祈念をしました。

 倒れてから3日目の朝、浩さんは突然目を覚まし、「ここはどこかいのう」と声を発して、集まっていた家族を驚かせ、安心させました。その後、後遺症もなく、平穏に過ごし、8年がたった昨年、浩さんは家族の手厚い看護の中で亡くなりました。
 生前、「野球をやって、このチームにいられて、よかった。教会にご神縁を頂けて本当によかった」と言っていた浩さん。今も変わらず球団や教会を盛り立てるため、ご霊神としてお働きくださっています。

※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています

「心に届く信心真話」2019年11月3日号掲載
メディア 文字 信心真話 金光新聞 

投稿日時:2020/12/09 15:06:24.553 GMT+9



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