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親を大切にできる私に【金光新聞】

いつまでこのような生活が続くのか

 私(66)は金光教を熱心に信心する家庭で育ちました。現在、母(88)と妻(64)の3人暮らしですが、私と母が2人でいる姿を見るたびに、妻は「仲がいいわね」と、喜んでくれます。
 しかし、以前はこんな関係ではなく、ささいなことから言い合いになることがよくありました。そんな母との関係が変わったのは、昨年、母が転倒して大腿(だいたい)骨を骨折し、入院したことからでした。
 入院当初は、すぐに退院できるだろうと考えていたのですが、母にはリウマチの持病があったため、関節が痛くてリハビリを受けることができず、寝たままの姿勢で過ごさざるを得ませんでした。すると、少しずつ母に認知症の症状が現れ始めたのです。
 このままでは認知症が進行すると思い、早期に退院できないか医師に相談しましたが、現状では難しいとのことで、しばらく病院で様子を見ることになりました。

 それ以来、夫婦で教会に毎日参拝し、神様に母の回復を一生懸命お願いするようになりました。母は入院から約4カ月後、無事に退院できましたが、認知症の症状が進んだ中での同居となりました。
 退院してからの母は、着替えや食事、トイレまで、何をするにも介護が必要になり、一日中付きっきりでいなければなりません。最初の頃は、生活リズムが大きく変わったことから、「いつまでこのような生活が続くのだろうか」と不安でした。その上、認知症の症状で、何度も何度も同じことを頼まれるので、煩わしく感じてしまうこともしばしばでした。

お世話を信心の取り組みに

 ところが、介護生活にもだんだん慣れてくると、母はお世話をされるたびに、「すみません」と謝りながら、申し訳なさそうな表情を浮かべているように見えました。そして、以前のような元気もなくなってきているように感じました。このままではいけないと思った私は、教会に参拝するたびに、母が心身ともに元気になるようにと、お願いするようになりました。
 教会への参拝を続けながら介護をしていると、私の心の中に少しずつ、母の認知症と真剣に向き合おうという思いが生まれてきました。そして、「介護をしてあげている」という私の心が、母を申し訳ない気持ちにさせていたのではないか、と思うようになりました。そこで、「親を大切にできる自分になりたい」と願いを立て、介護生活は信心の取り組みであると心掛けるようになると、母が笑顔で「ありがとう」と返事をしてくれるようになったのです。

 ある日、母の爪切りをしようと、母の手をじっくり見ていた時のことです。「こんな小さな手で、私を育ててくれていたのか。介護くらいでは、今まで育ててもらったことへのお礼には足りないなあ」という思いになりました。
 母は、家事ができなくなった分、自宅でご祈念をしてくれる時間が増えました。母が祈るたびに、私たち夫婦の健康と、ここからの立ち行きを願ってくれているのだと感じます。私たち夫婦も教会へ参拝しては、母の回復を願っています。互いに祈り合う中で、生活が営まれているのだと思います。
 今日も母と手をつなぎ、歩行の練習をしました。「ありがとう」と手を出す母に、「こちらこそ、ありがとう」と言って手をつなぎます。互いに感謝し合う毎日を送れることのありがたさを、日々かみ締めています。

※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています

「心に届く信心真話」2020年3月15日号掲載
メディア 文字 信心真話 金光新聞 

投稿日時:2021/05/06 06:43:33.480 GMT+9



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