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「生きたい」と願える私に【金光新聞】

私も誰かの力になれるんだ

 10代から卵巣のう腫や子宮筋腫、乳がんなど、たくさんの病気を患ってきた私(40)は、「どうして私ばかりこんな目に…」という思いにとらわれ、希望を見いだせず、前向きな人生を歩めていませんでした。
 そんな中で3年前、重い病による不安を抱えていた、ある女性に出会いました。なぜか私は、その女性に自らの経験を話し、「あなたもきっと大丈夫ですよ」と声を掛けることができました。すると、女性は安心した表情で「心が軽くなりました。勇気をくれてありがとう」と、手術に臨んでくれました。おかげで「私も誰かの力になれるんだ」と、反対に勇気をもらったのです。
 そして昨年、乳がんの手術から5年がたちました。再発率が高いとされるその期間、私はいつも神様にお礼を申し、祈り続けてきました。不安に思うこともありましたが、あの女性との出会い以来、「病気が治ることだけがおかげじゃない。お役に立つことはできる。再発した時はまた治療を受けよう」と決心していました。結果、医師の「大丈夫でした」との一言に、喜びが込み上げたのを覚えています。

生かされて生きている

 ところが、その2カ月後、愛犬と一緒に家の近所を散歩するだけでも呼吸が苦しくなり、帰宅後は休養するようになりました。日に日に体調が悪化していくので家族が心配し、次の婦人科検診で医師に相談することになりました。
 母と病院に行き、医師に循環器科を紹介してもらって検査を受けると、「今すぐ手術が必要です。心不全です」と診断されました。肺に水がたまって、呼吸困難を引き起こしていたそうです。この症状は、乳がんの時に服用した抗がん剤の副作用で、中高年には時々このような症状が出るけれど、若い人の症例はあまりなく見過ごされたのでは、とのことでした。
 手術をすると告げられた時、「今度は本当に死ぬかもしれない」という言葉が心の中で浮かんだのですが、「神様が付いているから大丈夫」と思い直し、「生きたい。生かしてください」と必死に祈りました。

 その思いが神様に届いたのか、手術は無事に終わりました。その時、私は生まれて初めて「生きるってすごい」と感じたのです。「人は息をすること、食べること、排せつすること、普段当たり前と思っ
ていたことのどれを失っても生きてはいけないんだ」と実感し、生かされて生きている、という感謝の思いでいっぱいになりました。
 退院後、私は岡山県にある金光教本部に参拝して、金光様にお礼のお届けをした後に、「これからは、いつも助けてくださっている神様、ここまで使わせてもらった体、心配してくれる周りの人、お世話になっている物、全てにお礼をしていきたいです」と申し上げました。すると、金光様は「あなたがこうして大変な思いをしたことで、お医者さんは若い人にも副作用があることが分かり、次の方が苦しまなくて済むお役に立たれたのですね」と言ってくださいました。

 つらい思いをするくらいなら死にたい」。そう思っていた私が、今、「生きたい」と、自ら願えるようになりました。神様はどんな人にも平等に、その人が、その人のまま生きていける道を授けてくださっていると思えてなりません。生かされていることへの感謝を忘れず、お役に立てる生き方ができるよう、祈る毎日です。

※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています

「心に届く信心真話」2020年4月5日号掲載
メディア 文字 信心真話 金光新聞 

投稿日時:2021/05/19 14:20:37.289 GMT+9



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