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神人の道を踏み行く物語

金光教報 12月号 巻頭言

 物語と聞くと、昔話や作り話を連想されるかもしれません。けれども、物語とは、科学的な説明とは別な、理解の在り方でもあります。
 科学的な説明、例えば病院で検査結果をもとに、治療方針や経過予測を説明され、ひと通り「分かる」としても、「得心する」には至りません。経過や事情の説明を受けても、そのことが、なぜ今、私に起こるのかには応えてくれないからです。その「なぜ」に応え、心に収まる手助けをしてくれるのが物語であり、その意味で物語は、人生や世界を理解し生きていこうとする態度を含みます。
 作家の小川洋子さんと心理学者の故河合隼雄氏との対談『生きるとは自分の物語を作ること』の題名が示すように、物語を作ることは人生を運ぶことと同義とも言えます。とりわけ問題のただ中にあって、物語によってしのぎ、立ち行くことができる。物語は、応えようのないことに応えようとする営みだと思います。
 また物語は、無数の事実から選ばれた幾つかの事実を、意味という筋道でつなぎます。小川さんはこうも言います。
 「物語とはまさに、普通の意味では存在し得ないもの、人と人、人と物、場所と場所、時間と時間等々の間に隠れて、普段はあいまいに見過ごされているものを表出させる器ではないでしょうか」(『物語の役割』)
 「間」に隠れているものを見いだすことは、「間」をつなぐことにもなります。それは、お取次に通じます。私と神様との間、私と先祖や縁ある人々との間、教会やお道との間、天地との間、また難儀と助かりの間、目の前の現実と永遠の真実との間など、さまざまな間をつなぎます。
 同時に、一つ一つの関係、神様と・信心と・家や教会やお道と・ご縁ある人々と、そして自分自身と出会い直すことにもなるでしょう。そのような物語によって、つながり難いことがつながり、乗り越え難いこと、取り返しのつかないことに道がつくようにという願いが、物語には込められています。
 来る12日には、布教功労者報徳祭並びに金光鑑太郎(かがみたろう)君三十年祭をお迎えします。金光鑑太郎君(四代金光様)の「わがこころ洗ひ清めてゆかねばと洗心の二字青空に画く」という気宇壮大なお歌を拝しながら、曇り空、土砂降りの日もある中で、現実を超えて信心の稽古に願いを託す御心(みこころ)の程を、賜った数々のみ教えと共にお偲(しの)びし、御礼申し上げたいと思います。
 そして、御霊神(ごれいじん)様それぞれの神人物語をお偲びするとともに、立て遺された御徳(みとく)にお応えする願いを新たにし、その一歩を踏み出すおかげを頂きたいと念じます。

メディア 文字 金光教報 巻頭言 

投稿日時:2021/12/01 08:51:45.601 GMT+9



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