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「ビッグウエーブを待つこころで」

金光教報 3月号 巻頭言

 ハワイセンターで御用を頂いていた頃のことです。ハワイなまりの英語で「ビッグウエーブ、来るよね」とにっこり笑う人に会いました。これは、小さい波をやり過ごして、ジッと大きな波が来るのをワクワクしながら待つというサーファーの言葉で、「いいことも悪いことも、いろいろあるから、いい時が来るのを待とう」という意味のようでした。今まさに、そんな大きな波が金光教にやって来るような予感がしています。それは、世界のさまざまな人たちから金光教への関心が集まっていて、その中に、金光教の教えを自分の母国語に訳して広めたいと願う人が増えているからです。
 40年ほど前、教典の英訳に関わらせていただいていた頃、ある先輩の先生から「まず英語に訳そう。そうすれば、他の言語に変わるときが来るから」と聞かされた日のことを思い出します。今まさにその時が来ているようです。教祖様の「ことば」の持つ力と確かさを実感しています。
 大谷という小さな村で始まった教祖様の信心は、合理的に考えることを体質化していた人々の心を捉え、深められ、その本質が把握され、普遍的な信心として語られるようになりました。このことから、自らの生活領域と異なった領域にも信心が伝わる可能性を持ちました。こうして岡山の小さな村から金光教は、普遍性を取り入れながら、人から人へ、日本各地、さらには海外へと伝わりました。
 昨今、インターネットによる情報化が進み、世界から「金光教の教え」に熱い視線が注がれています。そんな今だからこそ、なおさら教祖様の大切にされていたところに立ち返る必要があるように思います。教祖様ご晩年に一教組織化に大きく舵を切った時の、あの教祖様と佐藤範雄先生の「信条」を巡る問答、あそこに見られるギャップを大切にして、今という大切な時に大切なものを失うことのないようにしたいと思っています。
 明治維新後の布教公認への動きの中で、「人が助かることさえできれば、それで結構である」と仰せになられた教祖様は、公認宗教になることも、既成宗教の配下に加わることもせず、各出社の布教者に対して「何とないと云うて辷(すべ)っておれ」と仰せになられて、人が助かる道として生神金光大神の道が貫かれていかねばならない、と伝えています。
 そのようにして私たちに届けられた「生きた信心」が、今を生きる人々の力となるためにも、日々の生活の中で、よく見て、よく聞いて、よく感じて、私たちそれぞれの生きる姿をとおして、神様が生き生きと現れてまいりますよう、ともどもにおかげを頂いてまいりたいと願っております。

教務理事 大矢嘉

メディア 文字 金光教報 巻頭言 

投稿日時:2022/03/01 9:00:00.000 GMT+9



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