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「天地書附に思う」

金光教報 4月号 巻頭言

 天地書附が定まったのは、明治6年4月のことでした。その年の2月19日から約1カ月間、教祖様はお広前を退かれます。この神前撤去と呼ばれる苦難の中で、教祖様は神様との対話を深められ、「酉の年一歳」というご自身の生まれ変わりとともに、「天地書附」の原型が生まれ、4月11日に今日のような形に確定を見たのです。さらには、この時「取次の座」が定まり、半年後の10月には「御神伝」が下がります。
 岩﨑内局では、これらの出来事を神様と私たちとの縦軸を確かにするために神様がご用意くださった3つの大切なことと捉えており、天地書附は、神様から氏子一人ひとりに直接にお知らせになったメッセージだと受け止めています。「金光大神御覚書」「お知らせ事覚帳」にしたためられた神様のお知らせは、ほとんどが教祖様に下がったものですので、その「宛先」は教祖様ですが、天地書附は、「参ってくる者に下げるように」と神様がおっしゃっていることから、私たち一人ひとりが「宛先」のお知らせであると考えるのです。
 ところで、神様の仰せどおりに、2人のご子息が書きためられた天地書附は相当な数であったそうです。神様はどれほど多くの人に、このメッセージを伝えたいと願われたことでしょうか。 私は、教会のお広前に掲げられた天地書附を、しっかりと眼で見て神様からのメッセージを受け止めることに努めつつ、教主金光様をお慕いしながら頂いておりました。すると、「ご本部広前の天地書附の前で金光様が日々ご祈念くださっている。金光様がご覧になっている景色と同じ景色を私は地方にあって見せていただいている」ように感じられ、とても心強いことでした。ご本部の御用で霊地に住むようになってからも、教会のご信者さんには「離れていても天地書附に向かっていれば、空間を超えてご本部広前とつながることができる」と話しています。私と神様との縦軸は、天地書附によって結ばれていると同時に、そういう私たちをも結んでくれているようにも感じます。
 天地書附に込められているご内容については、一つに固定されるものではないと思います。神様は天地書附をとおして、常におのおのに語り掛けてくださっているので、メッセージは一様ではありません。一人ひとりがその日その時に気付かされ、分からされていくものでしょう。意味や内容を説明しようとするよりも、分からないままであっても、神様のみ思いを問い求める方が大切です。クイズの答えを一生懸命考えている途中で、答えを明かされてしまうとつまらないものです。問い求め続けることで神様との対話が豊かなものとなり、常に新たな、しかも思いもよらない答えが生まれ続けていく。そのようなありがたいお働きと時間が、天地書附が掲げられているお広前にはあるのだと思います。

布教部長 石黒眞樹

メディア 文字 金光教報 巻頭言 

投稿日時:2022/04/01 17:50:38.810 GMT+9



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