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教会参拝を通し夫婦の心に変化【金光新聞】

夫の病に自分を責め

 私(71/女性)の家は仏教徒ですが、18年前、娘が金光教教師の男性と結婚したことがきっかけで、金光教に出合いました。
 結婚当初、娘たち夫婦は不妊に悩みましたが、無事に子どもを授かることができました。その間、教会での生活を通して、目の前の困難を受け止め、前向きに生きようとする娘の成長を目の当たりにし、私は金光教の信心に魅力を感じ始めました。
 最初は、娘に会うことだけを目的に、教会へ参拝していた私でしたが、孫の誕生を機に、大祭や霊祭に夫婦で参拝するようになりました。祭典にお参りすることで、信心のお話を聞く機会も増えていきました。
 そうした中、2年前、私の夫に病気が見つかりました。手足のむくみと痛みに悩まされ、ふさぎがちになる夫を見て、私は「生活習慣が悪かったのだろうか。私が夫を病気にしてしまったのだろうか…」と、自分を責めました。
 しかし、ふと「これも運命なのかもしれない」と、夫の病気を受け入れ、向き合っていこうと思えました。それは、信心によって、よい生き方へと変わっていこうとする娘の姿や、教会にお参りする中で、いつの間にか信心を教えられたからだと思います。

私が夫を助ける番だ

 これまでの夫との生活を改めて振り返ってみると、私は、長年仕事に励み、好きな時に旅行に行っていました。夫を置いて1週間留守にすることもありましたが、夫は一度も反対したことがありません。自由にさせてくれることを、当たり前だと思っていたのです。でも、夫が病気になったことで、「そうじゃない。夫への感謝が足りなかった」と気付かされました。
 「これまで好きなことをさせてもらってきた分、今度は私が夫を助ける番だ」と決心してからは、仕事の時間を減らし、夫を支えることを生活の中心にしました。
 すると、夫に変化が生まれました。以前は、お墓参りはおろか、家の仏壇に手も合わせないほど信心気のなかった夫が、教会に積極的に参拝するようになったのです。
 教会に参拝すると、先生だけではなく、信者さんたちも夫の体を気に掛けてくださいます。夫は、それがうれしく、ありがたいのでしょう。人から祈られているという実感は、私たち夫婦の大きな支えになっていきました。
 変わったのは、夫だけではありません。教会で先生が話してくださる信心のお話を聞くうちに、相手を思いやる心や丁寧な言葉遣いなど、私の言動も変わっていきました。
 夫のために何かできることはないかと、座ったままできる体操を習って夫と一緒に運動したり、認知症予防に役立つゲームを覚えてやってみたりと、毎日工夫しています。

信心で自分が変わる

 新型コロナウイルスが流行してからは参拝ができにくくなりましたが、教会が配信するご祈念の動画を見ながら、家で夫とご祈念をしています。毎朝、夫の方から「朝のご祈念をしよう」と声を掛けてくれます。
 夫は現在、教会の皆さんに祈られながら、ケアマネージャーや医師の尽力もあって、病状はだんだんと良くなっています。今も手足に不自由が残っており、以前のような生活が取り戻せたわけではありませんが、お墓参りにも行くようになるなど、積極的に信心に取り組んでいます。
 夫の病気という思いがけない出来事でしたが、自分自身が変わることで喜びを感じられるようになったのは、金光教の信心あってこそと、ありがたく思っています。

※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています。

「心に届く信心真話」2021年3月28日号掲載

メディア 文字 金光新聞 信心真話 

投稿日時:2022/05/08 10:00:16.265 GMT+9



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