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神様と父が作る関わり合う関係【金光新聞】

思い出す父のご祈念

 「先生、助けてください」。私(65)が奉仕する教会の初代教会長である父の名前を唱え、何度となくご祈念をさせてもらってきました。
 13年前に父が亡くなった翌日、ふと夜空を見上げると、こうこうと輝く満月に、父の干え支とであるウサギが跳ねているように見えました。それ以来、夜空の月を見ると、父が温かく見守ってくれているように感じて元気が出ます。
 父のことを思う時、いつも浮かんでくるのは、ご祈念する後ろ姿です。神前に座り、ご祈念に熱が入ってくると全身を激しく揺さぶるようにして祈り込んでいました。私には、その様子が苦行に耐えているかのように見えたこともありました。けれども、父が晩年に入院した際、 「どんな時が幸せ?」と尋ねると、即座に「一番幸せなのは、ご祈念させて頂いている時だ」と答えたのです。私は驚くとともに、父の祈りをしみじみと感じ、ありがたく思いました。

三が十になる感激で

 父のご祈念は、神様へ一生懸命、押して願っていくものでした。ある時、それが大きく展開する体験をしたのです。父の左肩がすごく痛むようになったことがありました。病院で治療しても改善せず、激痛で食事もままならなくて夜も眠れないほどでした。お取次を頂いて、懸命にご祈念するのですが、痛みは和らぎません。父は、心身共に参ってしまいました。
 それでも、神様に回復を願い続けていたある日、 「右肩は痛くないのだな…」と、ハッとさせられたそうです。そう思ったのと同時に、それまでのお願いは消えていたといいます。父は「右肩は痛みもなく、今日までずっと神様からおかげを頂いていた。そのことに気付けず、左肩の痛みにとらわれてのお願いばかり。神様に対し、申し訳ないことだった」と涙をこぼし、神前でひれ伏しておわびを申し上げ、お礼をしたそうです。すると、翌朝には痛みがなくなるというおかげを頂きました。
 父はこの体験から、困った状況でも、神様が今下さっているおかげを見つけて、たとえ三のおかげのようでも十のような感激をもって喜ぶことが大切だと分からせてもらったといいます。そして、「お願いは大事だが、一方的に『こうしてほしい』と願うだけでは、神様と関わりはできても、神様との〝関わり合い〟ができない。頂いている神様のおかげを喜び、お礼を重ねて、事柄の中に込められた神様の思いを少しずつ分からせてもらうことで、関わり合いができていく。私たちは、十の信心をしているのに、三くらいしかおかげを受けていないと思ってしまうが、教祖様はそうではない。三の信心しかできていないのに、神様はなぜ十のおかげを下さるのだろうか…もったいないことだと、教祖様はそういう喜び方をなされる」と語っていました。

呼べば出てきてやる

 父は自分に厳しく、時には家族や信者さんにも、自らの信心に対する熱い思いをぶつけていました。その一方で、「何でも最初から決まったものではない」と、先入観なく相手の話に耳を傾けるような包容力がありました。生前、私が「今はこうして話を聞いてもらえるけれど、もし、お父さんが亡くなったら、どうしたらよいですか」と聞くと、「呼べばいつでも出てきてやる」と言ってくれました。
 その言葉通り、これまで父のみたま様におすがりして、何度も、おかげを頂いてきました。これまでも、そして今もなお見守ってくれている父の思いと願いに応えられるよう、ご用に使って頂きたいと願っています。

※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています。

「心に届く信心真話」2021年7月11日号掲載

メディア 文字 金光新聞 信心真話 

投稿日時:2022/08/13 10:00:07.935 GMT+9



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