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生死を越えた祈り

金光教報 11月号 巻頭言

父とともにわがある今日も夕づきぬ 父が通ひし道ふみもどる 
しなければとこころ思へどままならぬもどかしさ 父にいひつつすがる 

 四代金光様は、御父君であられた三代金光様への思いを数々のお歌に詠んでおられる。三代金光様にお縋りされながら、日々の御用を進めてこられたご様子がありありと目に浮かぶように感じられる。 
 四代金光様のお心には遠く及ばないものの、私自身、御霊となった父母に向かう時、ありのままの心で縋り、導いてもらっていることをひしひしと感じている。けれども、両親が生きている間は、なかなか素直になれない時期もあった。しかし、御霊となった今、両親の存在を改めて思う時、より強く深い新たな関係に変わってゆけるありがたさがあるように思えてならない。
 昨年の暮れから今日まで、在籍教会の信奉者の葬儀を相次いで仕えさせていただいた。どの方も90歳を超えておられ、私にとっては大変身近な方々である。
 お一人おひとりのご生涯を振り返ってみると、厳しい時代の中を、多くの喜びとともにさまざまなつらさ苦しさを背負って生き、難しい問題や人間関係など、すぐには解決できない事柄にも向き合ってこられた。けれど、自分にとって良いことも悪いことも神様のご都合として受けようとされ、お取次を頂く中で、神様にお任せしながら生きてゆこうとされた。神様にお縋りし、導かれて、今日まで神様のお恵みを身いっぱいに受け、精いっぱいに歩んでこられたそれぞれのお姿がしのばれ、胸に迫ってきた。葬儀を仕えるに当たり、この方々の「神人物語」を、私自身がどのように捉えようとしているのか、神様から問われているように思えた。
 お国替えの時を迎え、たとえ残されたさまざまな問題があったとしても、神様の懐に包まれる中で、いつの間にかありがたいことに変わってゆき、そして自身も生前の祈りのままに御霊として後の人々が立ち行くように立ち働いてゆくことができるのではないかと思わされる。
 私たちも、神様に心を向け、御霊様に思いを寄せる中で自分に掛けてくださる深い祈りに気付かされてゆく。
 「人間は生き通しが大切である。生き通しとは、死んでから後、人が拝んでくれるようになることである」とのみ教えがある。生き通しとなってお働きくださっておられる御霊様に心よりお礼申したい。そして、生死を越えて編み続けられる神様との物語を見せていただきつつ、私自身そのような信心を求めてまいりたいと改めて願っている。

財務部長 森義信

メディア 文字 金光教報 巻頭言 

投稿日時:2022/11/02 10:14:29.860 GMT+9



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