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お礼を言い言い心配させて頂く【金光新聞】

長男が差し伸べた手

 金光教教師である私(66)の歩みを振り返る時、子育てを通して神様に教えて頂いた二つのことを思い出します。
 一つは、長男が3歳の頃のことです。当時、金光教本部がある岡山県の金光町に住んでいました。私は、長男と1歳になる次男の育児に疲れ、気軽に相談できる友人もいなくて孤独を感じていました。
 ある日、私は思わず、「お母さん、どうしたら友達できるかな」と、長男に悩みを漏らしました。長男は考えるような素振りを見せた後、私を見上げて「僕と手をつないでお広前にお参りしたらいいよ。みんなが僕に話し掛けてきたら、お母さんもお話しできるね」と、笑顔で言ってくれたのです。私は驚きとうれしさで涙があふれ、「ありがとう」と長男を抱き締めました。
 その頃の私は、家事を済ませた夜中に一人でお広前にお参りし、ご祈念をしていました。お広前にいると、心がほっと落ち着くのです。
 翌日から長男の手を引き、次男を乳母車に乗せて本部広前にお参りしました。すると、本当に道行く人が声を掛けてくれました。参拝が楽しくなってきた頃、長男と同じ年齢の子とそのお母さんと知り合い、一緒に参拝したり、子どもの誕生会をしたりと楽しく過ごせるようになって、私の心も晴れていきました。
 私は、長男の言葉は、神様が差し伸べてくださった救いの手だったと信じています。神様に祈り続けたからその手を握れたと思え、お願いの大切さを知った出来事でした。

神様が大難を小難に

 もう一つは、次男が3歳の誕生日を迎えた時のことです。その日、私が昼食の用意をしていたら、ドンドンと玄関を叩く音がします。出てみると、近所の人が頭から血を流す次男を抱えていました。三輪車ごと溝に落ちて、額をぶつけたようでした。私は震えながら、バスタオルで傷口を抑えて病院に急ぎました。7針縫う傷でしたが、他に異常はなく安堵どしました。
 大事をとって、一晩入院しました。小さい頭を包帯で巻かれ、点滴をしたまま、不安そうに私を見て、「抱っこして」と言いました。できるだけ密着できるように次男を抱え込みながら、子どもが成長し、誕生日を迎えられるのは、当たり前ではないと痛感しました。そして、実家の教会に電話でお届けした際、父が言った「大難を小難にして頂いたなあ」という言葉を思うたび、神様が、けがだけで済むようにお守りくださったことを感じて、お礼申し上げ、ここからのおかげを頂きたいという心持ちになれました。

信心の大切なところ

 次男も無事退院でき、自宅で二人の息子を眺めていると、以前、私自身のことをお願いした時に四代金光様から頂いた「心配しいしい心配するのでなく、お礼を言い言い心配させて頂きなさい」というお言葉を思い出しました。神様から命を頂いて、子どもたちがここにいてくれることにお礼を申して、そのお礼を土台に生活をさせてもらう大切さを、神様から教えて頂いたと思いました。
 あれから月日が流れ、最近、保育園に通う孫から手作りのかわいい品が送られてきました。そして、父親である長男の「子育ては本当に大変で、お母さんは僕と弟をよく育ててくれたなあと感謝しています」というメッセージも添えられていました。
 神様は子育てを通して、私に何でも神様にお願いし、頂いたおかげを喜んでお礼を申し上げる、そんな信心の大切なところを教えてくださいました。息子たちも神様からのお導きを頂けますようにと、願っています。

※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています。

「心に届く信心真話」2021年12月12日号掲載

メディア 文字 金光新聞 信心真話 

投稿日時:2022/12/25 10:00:03.844 GMT+9



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