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夜道を照らすお月様のように【金光新聞】

尊敬する祖父が倒れ

 12月を迎えるたび、私(45)は、今は亡き祖父のことを思い出します。
 生前、教会で一緒に暮らしていた当時、教会長だった祖父は、いつもお広前のご神前でじっとご祈念をしているか、お結界で信者さんの話に耳を傾け、お取次をしていました。私はその姿を、子どもの頃からずっと、尊敬のまなざしで見ていました。そして、祖父は毎日午前3時には起きて、お広前でのご用をしていました。
 私が大学受験を控えていた頃のことです。家族みんなが寝静まった時間帯が一番集中できたので、祖父が起きてくるその時間になっても、私はまだ勉強をしていました。祖父は、必ず私の部屋のドアを少しだけ開けて、「勉強がんばっちょるね」と優しく声を掛けてくれました。私は「うん」と返事をするだけですが、祖父はうれしそうな顔で静かにドアを閉めて、朝のご用に戻ります。
 この短いやりとりは、受験生の私にとって「いつも祖父は私のことを応援して、神様に祈ってくれている」と感じられ、ひそかな励みになっていました。
 そのかいもあり、私は受験に合格しました。そして、大学卒業後は、故郷から遠く離れた街で就職しました。仕事にも一人暮らしにも、だんだんと慣れてきた、ある日のことでした。母から、祖父が脳梗塞で倒れて入院したと連絡がありました。聞いた瞬間、私は胸の奥がぎゅっと締め付けられ、不安な気持ちでいっぱいになりました。

今度は私が祈る番だ

 すぐ帰省して、祖父が入院した病院に向かいました。祖父は一命を取り留め、耳は聞こえるようでしたが後遺症のまひでしゃべることができなくなり、寝たきりになってしまいました。
 しばらくして私は、何かに突き動かされるように、祖父と同じ金光教教師の道に進もうと決心しました。そのことを祖父へ伝えると、祖父は目を大きく見開き、何か言いたそうな表情で私の顔を見ていました。
 その後、金光教教師になった私は、毎日祖父のお見舞いに行くようになりました。そして「いつも私のことを祈ってくれていた祖父を、今度は私が祈らせてもらい、少しでも安心してもらいたい」という思いが、ふつふつと湧いてきました。長年、家族や教会の信奉者の方々、世の人々の幸せを神様に祈り続けていた祖父の信心が、私を人のことを祈りたい」と思えるまでに変えてくれたのだと思います。

悲しさより感謝の心

 教師になって半年がたち、12月も半ばを過ぎた、とても静かな夜でした。病院から、祖父が亡くなったと連絡が入りました。「がんばっちょるね」と声を掛け続けてくれた祖父が、神様の所へ旅立ったのです。その時、私の心は悲しさよりも、祖父への「ありがとうございました」という感謝でいっぱいになっていました。
 受験勉強をしていた頃のように、静かに見守り、祈り続けてくれた祖父は、私にとって、夜道を優しく照らしてくれるお月さまのようでした。そのことを、祖父のちょっとお茶目な笑顔と一緒に思い出しては、温かい気持ちになります。
 今、あの頃の自分と同じように、娘が受験に向けて頑張っています。娘に対して、祖父と同じように静かに見守り励ませているかというと、自信はありません。けれども、祖父のように、静かな心で温かく声を掛け、子どもの心が助かっていく関わり方をしていきたいと願っています。

※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています。

「心に届く信心真話」2022年1月5日号掲載

メディア 文字 金光新聞 信心真話 

投稿日時:2023/01/30 15:00:20.229 GMT+9



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