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カミ・ニーズ・ユー

金光教報 4月号 巻頭言

 このお道を母に伝えたいと思っていた私に、四代金光様は、「伝えるのではなく、伝わる」のだと教えてくださいました。そして「小さい頃、おしめを替えてもろうたのを忘れとるじゃろう。主人が信心しますようにとお願いに来る人がいる。主人に信心を分かってもらえる私にならせてくださいとお願いに来る人もいる。どちらもおかげを頂くんじゃが、後の人の方が早えなあ。あなたがご縁を頂いたことにお礼を申し上げようなあ」と、生き方の基本を教えていただきました。
 「おしめを替えてもろうたのを忘れとる」と言われ、自分が存在する根本的なところを考えました。生まれてすぐ歩き出す牛や馬と違い、人間は親から育てていただかないと生きていけません。独り立ちするまで、ずっと親がかりだったのに、いつの間にか自分一人で大きくなったように思っていたことに気付かされました。これと同様に「信心はせんでも、おかげはやってある」と仰せになられ、無条件で親が子を愛で慈しむように、限りない恵みを与えてくださっている親神様に対して、自分勝手に生きている人間のありようを思いました。それでも神様は「親と思えば、子と思う」と手を差し伸べておられます。
 この神様に向かって信心をスタートすると、圧倒的な天地金乃神様が現れます。それも99.9%天地金乃神様、0.1%人間と言えるほど不釣り合いなのです。それにもかかわらず、神様は、「氏子ありての神、神ありての氏子」と仰せになられます。これを英語では、Kami needs us as we need Kami.(神は私たちを必要としている。私たちが神を必要とするように)と表現しています。たとえ圧倒的な不均衡であっても、神様は、人を助けるために、神様のことが分かる天地金乃神様の氏子を必要とされておられるのです。
 金光様の仰せになられた、「人に分かってもらえる私にならせて」いただく信心実践は、神様と共に、人の助かりを求める「神人の道」を歩む第一歩となり、私たちの信心を「神を使う信心」から「神に使われる信心」へと深化させ、天地金乃神様の氏子としての生き方へと誘います。
 おかげをお受けになられた42歳の大患を振り返り、感極まられた教祖様に感応された天地金乃神様の、世に出ることができた喜びを、教祖様は大きな丸を書いて表現しておられます。天地金乃神様の氏子としての在り方を求める稽古を続け、「どうしてこのようなことができたじゃろうか」と神様がお喜びになるおかげを頂きたいものです。
教務理事 大矢嘉

メディア 文字 巻頭言 金光教報 

投稿日時:2023/04/14 18:33:36.542 GMT+9



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