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神様のご用を受け持つ思いで【金光新聞】

初任給を全て神様に

 70歳を過ぎて自分の人生を振り返ると、感慨深いものがあります。私(71)は、農家の長男として生まれ育ち、両親が泥と汗にまみれて、畑仕事に精を出す姿を尊敬してきましたが、大学卒業後はサラリーマンになりました。
 私のサラリーマン人生で、初任給の時の出来事は、今でも忘れられません。いっぱしの親孝行のつもりで、最初の給料で両親に何か買ってあげようと考えていました。けれども、これという物が思い付かず、父に「来週給料日だけれど、何か欲しい物がある?」と尋ねました。
 父はしばらく考えていましたが、「別にこれといってないが、その気持ちがあるなら、神様へのお礼として、お供えしてほしい」と言いました。両親は金光教の信心をしていて、何事も「神様のおかげで」という感謝を忘れない人でした。もちろん、私も神様に少しはお礼をするつもりでしたから、「それとは別に何か買ってあげようか」と再び尋ねました。
 すると父は、「気持ちはありがたいが、給料をもらえるということは、元気で働かせてもらえたということだから、どれだけ神様にお礼を言っても足りないと思う。神様のおかげで働かせてもらい、そしてこれからも一生、神様のおかげを頂いていかねばならないのだから、初任給は全額神様にお供えしてほしい」と言ったのです。
 父の「全額」という言葉に私はびっくりして、「そう言われても、こっちの都合もあるし…」と心の中でつぶやきました。そんな私の様子を見てか、父は「それなら、自分が神様にお礼しようと思っていた分に、私と母さんに買ってくれようとした分を加えてお供えしてくれたらいい」と言い直しました。

おかげを下さった!

 いろいろと悩みましたが、「親が喜ぶなら、親の願いの通りにしよう」と決心がつき、給料をもらったその足で教会にお参りし、給料袋の封も切らないままお供えしました。
 当然、それからのひと月は、お金のやりくりに苦労しました。予定していた新しいスーツも買えなくなり、同僚からの飲み会の誘いも泣く泣く断りました。何かと不自由でしたが、教会の先生から、「仕事は神様のご用」と教えて頂いていたので、「神様のご用を受け持たせて頂いている」という思いで仕事に取り組みました。
 それから数年後の夏のことです。仕事帰りに同僚たちと飲んでいる時、ボーナスの話になりました。話を聞いていると、どうも私がもらった金額の方が、皆より少し多いようです。同期入社ですし、私が人より仕事ができていたとは思えないので、「これは神様がおかげを下さったんだ」と感じました。それからは、今まで以上に「仕事は神様のご用」という思いが強くなりました。

神様と両親に感謝を

 あれから四十数年。今でも思い出すのは「神様のおかげで働かせてもらえている。そしてこれから後も、神様のおかげを頂いていかねばならないのだから」という父の言葉です。
 大金持ちになれたわけでも、ぜいたくができたわけでもありませんが、神様が守ってくださり、恵み続けてくださっている確かなお働きを毎日感じながら、元気で病気も知らず、ありがたく過ごすことができました。
 結局、最後まで親孝行らしいことはできませんでしたが、両親に感謝するとともに、まだまだ、両親の信心の足元にも及ばないなと、墓参りのたびにおわびとお礼を申し上げています。


※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています。

「心に届く信心真話」2022年5月11日号掲載

メディア 文字 金光新聞 信心真話 

投稿日時:2023/05/07 10:00:00.322 GMT+9



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