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【巻頭言】境目なき天地

金光教報 2月号 巻頭言

金光教の教師養成機関である金光教学院では、生活の起居一切をとおして信行にいそしんでいます。日々、教主金光様の御取次を仰ぎ、本部広前の修行生として、教祖様のご信心を生活に現す稽古を続けてきています。

食事や就寝は生活の基本であり、最も大切な修行ともなります。しかし、意外と思うようにはできないことがあるものです。食べたくても食べられなかったり、寝なければならないのに寝付けなかったり、起きなければならないのになかなか起きられなかったりということが多々あります。

自分の体なのに、自分の日課なのに、自分の思うようにできないことに出合うのです。学院本科の前期の信行目標は「神に心を向ける」と定めています。信心するものにとっては当たり前に思えることです。しかし、生活の一切において取り組もうとすると、実に難しいことだと思い知らされることになります。

学院での食事は、話をせず黙って頂くことにしています。いのちのもとである食に対し、自らのいのちで向き合っていくのです。私もその向き合い方をとおして、目の前のお膳に並べられた食事が、今から自分自身になってくださるものであるという意識が生まれました。そのことは自分でも驚きでした。

それと同時に、切った爪や髪の毛、涙や汗、大小便に至るまで、それらはたった今まで自分自身であったのだとも思わされたのです。さらに吸う息や吐く息も、飲む水も、そのものと自分との境目があいまいになってきます。私と天地の間には、境目があるようでいて、実は時を超えてつながっていると思うのです。

「生活の中に、教祖様のご信心を求め現していく稽古」とは教主金光様のお言葉であり、金光様が御自らお取り組みくださっているご内容でもあります。教祖様が教えてくださるご信心を、自分の食事や就寝、掃除や炊事、そして参拝やご祈念といったところに現す稽古を続けていくと、天地金乃神様のありがたいことに気付かせていただけます。伝えられているご理解は、教祖様の生きられ方をとおした天地のみ働きであり、そのお心を教えてくださっているのだと思います。

「食物はみな、人の命のために天地乃神の造り与えたまうものぞ。何を飲むにも食べるにも、ありがたくいただく心を忘れなよ」

この食前訓を日に日にお唱えし、天地のみ働きやお心を感じて、いのちと体のもとを知ります。天地の心をわが心に頂いて、学院生と私の一人ひとりの生活に、「神人の道」が現されてくる信心の尊さを感じさせていただいています。

天地との間や人との間にも境目はなく、「神は人のなかにあり、人は神のなかにあるのです」との前教主金光様のお言葉が心に響いてまいります。
金光教学院長 大代 信治

メディア 文字 金光教報 巻頭言 

投稿日時:2024/02/01 09:11:41.753 GMT+9



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