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国内外の別なく 皆神の氏子同士 【金光新聞】

海外の信奉者に学ぶ

 地球上には、多様な人種、言語、文化、習慣が存在する。金光教が海外布教・異文化布教を進めていく上で、こうした「違う」「異なる」ものをどのように捉えていくかは大きな課題だ。
 金光教国際センターのご用では、国内と海外のさまざまな違いに当惑させられることもしばしばだが、信心を進める上での大切な気付きを得られる場でもある。


 金光教の言葉を異なる言語に翻訳する作業は非常に難しく、長い時間がかかる。まず、現地の言語を習得し、流ちょうに話せるようになることは、並々ならぬ努力が必要だ。
 また、教祖様は参拝者に、たびたび「戌(いぬ)の歳の氏子」などと干支(えと)を用いて呼び掛けられたが、干支の文化のない地域で暮らす人たちには、そのことを理解してもらうために、注釈を付けなければならない。
 しかし、そのような作業を通して、あらためてその言葉の意味するところを問い直していく中で、教義的な内容にまで踏み込んで金光教の言葉を掘り下げていくことができるのが翻訳の醍醐味(だいごみ)でもある。
 このほかにも、さまざまな違いがあり、簡単にいかないこともたくさんあるが、そこからの解決の糸口を見つけていく中で、新たな発見に出合うこともたくさんある。

 国際センターでご用させて頂くようになって2年目の時、私は初めてイギリスに出張することになった。
 金光教はイギリスで、1992年から集会を開催しており、私が出張した年は、午前中に信心研修会、午後に祭典・教話・懇談を行った。
 集会には、もともと日本で信心していた人たちやイギリスで入信した人たち、そして日本宗教の研究者などが参加していた。集会自体は無事に終えることができたが、私はイギリスで入信したという人たちに対して、「この人たちは本当に信心しているのだろうか」と、少し疑いの目を向けていた。
 それは、日本ではない場所で、しかも教会のない地域で入信した人たち、つまり、私とは違う異質な環境で入信した人たちを素直に信用することができなかったからである。
 しかし、その後も集会に参加する中で、彼らが集会の開催を心から楽しみにし、真剣に神様に願いを込め、そして、おかげを頂いていることが分かった。さらには、周囲の人たちの助かりを願って、お導きまでしていた。私は出張するたびに、彼らのことが好きになり、帰国後には、また会いたいと思うまでに気持ちが変わっていた。私が最初に抱いた疑念は、参加者一人一人が持っている「神心(かみごころ)」に直接触れることができたことで払拭されていたのだと思う。

 私は、海外の信奉者一人一人が「信心しておかげを受け」ているところを目の当たりにし、日本で信心を進めることとは異なる点がたくさんあっても、「信心しておかげを受け」ていることに、何ら違いはないのだと気付かされた。
 それと同時に、国内外の区別なく「信心しておかげを受け」る事実に直面し、彼らだけではなく自分自身も、「天地金乃神の氏子」なのだということを、それまで考えていた以上に深く理解できたように思う。
 世の中には、性別、国籍、人種など「違う」「異なる」ことで、さまざまな争いや差別が生み出されている。また身近な人との対立も、お互いの意見や価値観が違うところから始まることが多いのではないだろうか。
 以前の私は、結局はそのような対立や差別を生み出すような在り方だったのだと気付いた。「天地金乃神の氏子である私」という立ち位置から、どのような主体的な関わり合いができるのかが問われているのだと痛感している。

浅田 幸恵(前・金光教国際センター次長)
(「フラッシュナウ」金光新聞2014年4月27日号)

投稿日時:2014/05/02 19:34:53.348 GMT+9



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