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心の隙間に染み渡るみ教え 【金光新聞】

不安抱える現代に信心の言葉を届ける

 豊かな今日の社会にあって、一方で多くの人が先の見えない不安や困難を抱え、心の救いを求める。そうした日々の出会いの中で、教祖様の信心やみ教えを自分の言葉で分かりやすく伝えることが大切だと実感する。

 私は仕事柄、神社の祭りや地域ボランティアに関わる機会がよくある。そんな折、最近、多くの若者たちが〝パワースポット〟と称して、神社、仏閣、神木といった場所を訪れる姿を見聞する。
 その隆盛ぶりは、江戸幕末までに何度かあったお伊勢参りや「ええじゃないか」の再来かと思うほどだが、観光や出掛けたついでに参るといったものではない。皆、助かりたい、おかげをもらいたいと、一心不乱で真剣に神仏に手を合わせている。
 若者たちは、生活が安定しない非正規雇用問題や、どこか満たされない人間関係など、さまざまな問題が山積し混沌(こんとん)とする社会情勢の中で、自分の思い通りにならない不満や不安感などに苦しんでいる。また、急速な展開を遂げるネット社会には、大量の情報があふれ、価値観の多様化や細分化が進むことで共通認識が持ちづらく、孤立化が進む。さらにそうした変化に順応できる人と、できない人の間には情報格差が生まれ、新たな社会的・経済的弱者を生み出している。そして、こうした現状に希望が持てない、先が見えないという理由から、引きこもりやうつ状態になっていく若者も多い。

 昨年、日本全国の高級といわれるホテルやレストランでの食材偽装が社会問題になった。だが、その謝罪会見で経営者や従業員が異口同音に「知りませんでした」と釈明する姿には、人間らしい生き方や信仰心の一端も見えてこない気がした。お客をだましてでも利益を優先する。ばれなければ何をしても良いという自分本位な考え方は、たとえ法に触れていなくても、神様の目や商道徳から見ればどうなるのか。
 企業にとって儲(もう)けることは大切なことだが、しかし儲けだけを至上命令にすると、そこには必ず人間関係のほころびが生まれる。〝儲〟けるという字は、「信」じる「者」と書くように、少し昔まで、利潤と道徳を調和させる商道徳の基本として広く認知されていた。
 だが、今の世の中には、自分さえ良ければそれでいい、という我欲を中心とした考え方がはびこっているのではないか。

 私は、仕事やボランティア活動で知り合った人と、こうした自分中心の生き方について話す際には、地球が宇宙の中心にあり、その周りを他の天体が回っているという〝天動説〟に例えて説明し、み教えを元にしながら、神様を中心とした生き方の大切さを〝地動説〟になぞらえて伝えている。「人も自然の一部なのだから、思い上がりの心が自分自身を苦しめるよ」と。
 大阪には「桜の通り抜け」で有名な造幣局があり、そこでお金が製造されている。日本のお金は「貨幣」「紙幣」というが、「幣」とは、神様に供える貢ぎ物を意味する。造幣局とはご幣を作る所であり、勤労によって頂いた幣を供えさせて頂く心でお金を扱っていくことが大切だ、と私には聞こえてくる。
 このように信心の視点、教えを元に物事を見ていくと、その意味が心に染み渡るように伝わり、この道の信心に出合っていない方にも共感して頂ける。
 不満や不安を抱え、助かりを求める若者はもちろん、信心の継承を願う子や孫へも、目には見えない信心の「タスキ」をつなぐことができるよう、心の隙間に染み渡るみ教えを、分かりやすく伝えていきたいと願っている。

伴 一郎(尼崎教会在籍/PR会社経営)
(「フラッシュナウ」金光新聞2014年5月25日号)

投稿日時:2014/05/29 13:52:49.408 GMT+9



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