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思いやり持ち感謝を言葉に【金光新聞】

「ありがとう」の気持ち伝える 

 「ありがとう」と言われてうれしい時、うれしくない時。ありがたいと思っていないのに言っている時、自然に心から言える時。「ありがとう」がなくて寂しく感じる時もある。そもそも、この言葉は感謝から発せられる言葉であり、こちらから期待するものでもないのだろうけれど、あるとないとでは大きく違うものだ。

 イラストレーターの仕事と同時に、画家としても活動している私は、展覧会を通して発表した作品を見て頂く機会がある。自らテーマやモチーフを考えて、描きたいと思うものを描ききった作品には格別な思い入れがある。そのために思いも掛けない感想や意見に力づけられることも多い。
 依頼されて描く仕事では、細かいリクエストも多い。締め切りに追われながら、その注文に応え、やっと仕上げたイラストレーションに対して、相手から「ありがとう」と言われることを当然のように思う時もあれば、それがないためにやる気をなくしてしまうこともある。しかし、そもそも仕事を頂いていることに対して感謝を忘れているのかもしれないと気付かされる。
 展覧会を開く時には、「ぜひ見に来てください」という気持ちを込めて案内状を出し、わざわざ足を運んで見に来てくださった方々には、「ありがとう」が素直に口から出ている。うれしい、ありがたいと思う気持ちをいつでも持ち続けることができたらと思う。

 そんなことを思う時、思い出すことがある。
 2011年の東日本大震災の津波で、大きな被害に遭った故郷・気仙沼のお役に少しでも立てればと思って帰省した時のこと。生まれ育った町も教会の周りも、今までとは違う空気で包まれていた。
 そんな状況の中で、何か自分にできることがあればと、慣れない作業や力仕事のお手伝いをさせて頂いた。けれども、悲惨な街の情景の中で力強く笑顔で頑張っている人たちを見ていると、何か手が寂しい気がして、持っていたノートに色鉛筆で、避難所にいる人々の似顔絵を描いていた。
 描きたくて仕方がなかったのだろう。私と手がほっとしてありがたかった。そして、その似顔絵を「ありがとう」と喜んでくれたことが言葉にならないほどうれしかった。「こんな非常時に絵を描くなんてどう思われるのだろうか」という心配の念は、描き出すとすぐに消えて、うれしいという気持ちになり、それが、周囲の人たちの温かい気持ちと空気にすっと溶け込んだようにも感じた。
 もしかすると、相手の方は少し無理をしてくれていたかもし
れない。避難所にいる人たちはつらいことを抱えておられるから、表情が硬くなっているのは当然だろう。そして、私も緊張してしまうから、目の前にいる方の表情を無理にほぐすことなどできないけれど、似顔絵の表情は少し口角を上げて、若々しく、可愛らしく、格好良く、面白く、鮮やかに描いた。見てもらった時ににっこりしてもらえますように、と願う気持ちで。

 互いに顔を合わせて、「ありがとう」と言葉を交わすことは気持ちが伝わりやすい。もし、相手に不安な気持ちがあったとしても、ありがたいという気持ちや表情は少なくても相手に伝わるだろう。
 仕事を通じて、また、電話やメールで、思いがけなく「ありがとう」をもらった時のうれしい気持ちを思い出し、感謝の気持ちと思いやりを持ち続けることを心掛けていれば、自然な「ありがとう」が習慣になっていくのだろう。
 つい忘れかけてしまう感謝の気持ちを、さまざまな経験を通して、神様が気付かせてくださることをありがたく思う。


奥原 真子(イラストレーター)
(「フラッシュナウ」金光新聞2014年10月5日号)

投稿日時:2014/10/29 17:23:31.594 GMT+9



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