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自分の心の向き整え改まる【金光新聞】

神心のスイッチが入る時

 私たちの周りには、日々、喜びやうれしいことがある一方で、悲しみや時には憎しみさえ覚えるような事柄に出合うこともある。そうした時にも、親神様から授かっている、相手を思いやる神心(かみごころ)で向き合えるよう、日頃から、喜びや感謝を探す稽古を進めたい。

 世界各地で頻発する悲惨な事故や事件、紛争のニュースを見聞するたび、その痛ましさに、私は思わず「助かってほしい」、と心で手を合わす。同時に、オリンピック、パラリンピックなどで、「感動と勇気をもらいました」「皆さんの支えのおかげです」といった喜びや感謝の言葉を耳にすると、こちらまでうれしくなる。
 私たちは、無心に働く人や、何かをやり遂げようと努力する姿を見ると、心から感動を覚える。災害復旧ボランティアをはじめ、人が助かるお役にと、一心から行動する姿にも心を打たれる。私は19年前に阪神淡路大震災を経験した。地震発生の直後から、多くのボランティアが昼夜を問わず現地へ入り、物資を届けていた。時には、暴走族の若者もバイクを連ね、水が入った多くのポリタンクを運ぶ姿も目にした。
 そこには、人の喜ぶことをしよう、人の役に立てればという、相手を思いやる心が湧き出ていた。そしてさらに、そうした若者たちに手を合わせてお礼を述べる被災者にも出会った。
 金光教の教祖様は、「広い世間には、鬼のような心を持っている者もないとは言えないが、人間であったら、気の毒な者を見たり難儀な者の話を聞けば、かわいそうになあ、何とかしてあげたらと思うものである。神の心は、このかわいいの一心である」と、説いている。
 人のことを思う神心が相手の神心を呼び覚まし、「あいよかけよ」の世界が生まれる。私はその時、その場にいた全ての人の心に、親神様から頂いている神心のスイッチが素直に入っていたのだと感じ、ありがたい気持ちになった。

 少し昔の話だが、今は亡き名優・森繁久彌さんの言葉が印象に残る。1967年から900回にわたり、「屋根の上のバイオリン弾き」を全国公演した中でのこと。
 ある日、満員の客席で、最前列の若い女性が下を向いたまま寝ていた。腹立たしさを覚えた出演者は、代わる代わる彼女の近くへ行き、舞台を強く踏んで大きな音を立てるなど、何とか起こそうとしたがずっと寝ている。そうして芝居は終わった。
 だが、アンコールで再び幕が上がり、森繁さんがあいさつを始めると、それまで下を向いていた女性がスッと顔を上げたのだ。見ると、彼女は目を閉じたままの全盲であり、白いきれいな手をたたいて、懸命に拍手を送っている。森繁さんは、自分の思い込みと申し訳なさに、ただ涙ぐむだけだったという。

 私たちは毎日、あらゆる場面で、神心のスイッチが入ることもあれば、切れることもあるだろう。だからこそ、どんな時にも神心が目覚めるよう、自分の心の向きを整え、改まり、変えていく生き方を大切にしたいと思う。
 人との関わりの中から、互いに良いところや喜びを探していく。そこに、人や社会のお役に立つという生き方や、感謝への気付きが生まれてくる。そうした在り方が、神と人とあいよかけよで立ち行くという、神人(かみひと)の道の実現につながるのだと私は信じる。
 教祖様ご生誕200年に当たり、「神人あいよかけよの生活運動」に取り組む中、さらに多くの人の心に神心のスイッチが入り、全ての人の心に大きな明かりがともり続けるよう、この道の教えを伝えていきたいと願っている。


伴 一郎(PR会社経営)
(「フラッシュナウ」金光新聞2014年11月16日号)

投稿日時:2014/11/20 15:09:38.574 GMT+9



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