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平和に思い馳せ祈り続ける【金光新聞】

戦争の記憶を風化させないために

 先の大戦から70年という時間が流れた。戦争体験者が高齢化し、戦争の記憶の風化が進む一方で、長年の平和に慣れ、その尊さへの実感と永続への取り組みが希薄になってはいないだろうか。一人一人の手元から、あらためて平和というものを考えてみる。

 私はかつて「悲しきかな天地」と題して、次のような拙い散文詩を作った。
 「大空は爆撃機が飛び交い、爆弾を降らせるためにあるのではない。陽が降り注ぎ、鳥が飛び交うためにあります。
 大地は、地雷を埋めるためにあるのではない。穂が垂れ、実りのためにあるのです。
 うらみを充満させるために、大気があるのではない。祈りが満ちるためにあるのです。
 世界は、違いをきそうためにあるのではない。違うお互いが、調い合うためにあるのです。
 天地は、争いと破壊のためにあるのではない。天地は、人々の幸せのためにあるのです。
 こんな純朴が消えるとき、小さく貧しく力なき者の眼をかりて、天地は涙を流すのです」
 このような思いは、金光教沖縄遺骨収集活動の奉仕隊に参加した時から生まれた。こてで土を掘り返す私の耳に、遠くから軍用機のごう音が響く。何とも脈絡のつき難さにからめ取られてしまった。

 数年が過ぎ、北海道のある先生にそれまでの思いを話した。すると、その先生は「第二次世界大戦時に北海道の炭鉱で働き、不本意のまま亡くなった朝鮮半島出身の方々がいる。私はそのご遺骨を掘るグループに加わり活動してきたが、骨を掘ることは魂を掘ることだ」と言った。その言葉が私の心に鮮烈に響いた。
 「魂を掘る」とはどういうことだろうか。その方々に思いが至ること、魂のうめき声を聞くことではないのか。そして、「もしかしたら」と、わが身に置き換えて想像してみることかもしれないと感じた。埋もれた声は見知らぬ人の声ではない。私が受けていた(いく)かもしれない悲しみを、私に代わって受けてくださっていたのかもしれない。そう思って祈っていくことが要ると考えさせられた。
 戦時期を生きた私の母は、幾度となく遺骨収集活動に参加し、ご遺骨を清めるご用を頂いていた。その母の「お骨は散らばっていることがある。思うに、平和は散り散りばらばらにしないことよ」との言葉が思われもする。
 生きようとして生きられなかった人、いま生きようとしてもがき苦しんでいる人とも、ばらばらではない。母はそう語る。

 魂は、体感の世界である。体感温度とは体がじかに感じる温度のことだが、平和についても「体感平和度」という感じ方もあるのではないかと思う。それは、たった一日でもいいから、世界中の人が手と手を取り合う。たった一度でいいから、世界中の人が笑顔を交わし合う。たった一度でいいから、世界中が「あなたのおかげです」と言葉を交わし合う。その一日、その一度、その一回が次に続いたら良い。つながり合っていくことが、まず自分の手元のところからできてきたら、体感平和度は上がるのではないかと思う。
 平和を大構えに考えることも必要だが、一人一人の生き方の集積によって平和は形作られていく。そのことがおろそかになれば、平和は底辺からすさんでいくことになる。祈り、そしてまた祈り、思いを馳せ、そしてまた、思いを馳せる。それが平和の底力ではなかろうか。
 戦後70年の今日、私自身がどう「魂を掘り続けよう」としているのか、あらためて問われる思いがしてならない。

井手美知雄(福岡県行橋教会)
(「フラッシュナウ」金光新聞 2015年7月19日号掲載)

投稿日時:2015/07/28 09:42:58.703 GMT+9



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