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一粒の種、 世界の人の心に【金光新聞】

平和願う祖父の思いを伝える

 インターネットをはじめ、情報伝達手段の高度化、多様化が進み、「誰かに何かを伝える」ことが容易にできるようになった現代。だからこそ、「伝える」上での大切な点を私と祖父の事例から考えたい。

 今は亡き祖父(広島県鯉城教会先代教会長)は、私に「あること」を教えてくれた。
 被爆者であり、原爆のことを多くの人に伝えたいと願っていた祖父は、私が小学生の時、夏休みになると近所の公園で毎日行われていたラジオ体操に行き、子どもたちを集めては「この場所でもたくさんの人が亡くなった」と被爆体験を話した。そして、毎年8月6日、教会で原爆慰霊祭を執り行い、祭典後には自身で書いた原爆に関する詩を孫の私に朗読させた。
 ところが、幼いころから繰り返し戦争や被爆の話を聞かされていた私は、成長するに従って祖父の話を煩わしく感じるようになり、いつしか耳を貸さなくなっていった。そして、18年前に祖父が亡くなると、聞かされていた話の内容は私の意識から次第に薄らいでいった。

 私はおととし、祖父が被爆した年齢と同じ40歳を迎えた。ある日、小学生の娘がたまたま学校から持って帰ってきた「原爆慰霊碑親子ボランティア活動」のチラシに目が留まり、ふと、祖父のことが脳裏をよぎった。その活動は、原爆の平和学習をした上で実際にガイド役を務めるというもので、私は娘を誘って一緒に参加することにした。
 ボランティア活動中、私は娘に被爆の状況について、「何でも聞いて」と、母親らしさを保つ口調で接していた。しかし、現実は娘の問いに対して何一つ十分に答えることができなかった。私の浅はかな思いは打ちのめされ、同時に祖父の貴重な体験話を聞き流していたことを痛感したのだった。

 そうした中、その活動の取材に来ていたNHKのディレクターから、私たち親子の様子を取り上げさせてくれないかと声を掛けられ、戸惑いながらも了解した。最初は、テレビで地元のニュースに短時間紹介されただけだったが、翌年には本格的な密着取材になり、祖父が書き残していた被爆体験記の内容が番組の中心テーマとして扱われ、約30分のドキュメンタリー番組として全国放送された。そしてその次の年には、英訳された番組が世界130カ国で放送されたのだ。
 私はこの思いがけない展開に驚きと感動を覚えるとともに、祖父が訴え続けた平和への強い思いが、私や娘を通して日本のみならず、世界へと広がっていったのだと感じた。

 冒頭の祖父が教えてくれた「あること」。それは、強い思いや祈りを持って伝えたことは、思いがけないことをきっかけにして広がっていく可能性がある、ということだ。
 祖父は、平和を願う子であってほしいと祈り、まだ小さかった私の心の中に種をまいた。それが数十年たち、芽吹いたのだ。祖父は生前はもちろん、みたまとなってからもずっと祈り続けているだろう。祖父からもらった一粒の種が実を結び、さらに世界中の人の心の中に新しい種をまく働きへと広がっていったのだと感じる。これらの働きを通して、私は祖父から「願いを持って種をまき、祈り続けることの大切さ」を学んだ。
 これは、金光大神様ご出現以来の金光教の布教展開に置き換えても、同じことがいえるのではないだろうか。強い願いを持って「誰かに伝える」という小さな種まき。その一粒は、やがて絶え間ない祈りとともに何年か先の世界で数多くの助かりの花を咲かせる可能性を持っている。

白神 亜礼(広島県鯉城教会)
(「フラッシュナウ」金光新聞2017年5月7日号掲載)

投稿日時:2017/05/11 09:00:00.000 GMT+9



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