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食物はみな人の命のために【金光新聞】

飽食の現代に広がる「見えない貧困」

 今日、まだ食べられる食物が「食品ロス」として大量に廃棄される一方で、貧困により、人知れず餓死したり、自殺する人が増え続けている。食物のありがたさを考えるとともに、子ども食堂やフードバンクの取り組みを例に、教会を拠点とした地域支援の可能性を求めたい。

 金光教の教祖が、 「神と人とあいよかけよで立ち行く」道を伝えた幕末維新期。多くの農民が、相次ぐ飢饉(ききん)や凶作、疫病のまん延によって疲弊しきり、生き延びる糧を求めて都市や街道筋をさまよった。教祖が参拝者に語った、「食物はみな、人の命のために天地の神が造り与えてくださるものである」との教えは、このような生存が危ぶまれる「飢餓の時代」を背景に、神からの賜り物としての食物のありがたさ、もったいなさを、人々に教示しようとしたものだ。
 今日の日本は、レストランやスーパー、コンビニなどに、さまざまなごちそうや食品が並び、多くの人は「飢餓」とは無縁であるかのように暮らす。そして、年間1千万トンに及ぶ食品が、包装や賞味期限、保管上の都合などで、まだ食べられる状態であるにもかかわらず、 「食品ロス」として廃棄されている。
 そうした「飽食の時代」の一方で、6人に1人の子どもが貧困状態に置かれるなど、「見えない貧困」が広がっている。何も食べられず、人知れず餓死したり、自殺してしまう人も年々増えている。2013年には大阪市内のマンションで、28歳の母親と3歳の子どもの遺体が発見されたが、室内に食べ物は一切なく、電気やガスも止まっていた。誰にも助けを求めることができないまま、餓死したものと思われる。貧困は、人間関係の貧困でもあるのだ。

 こうした中、 「食のセーフティネット」 を地域社会に創出する試みが各地で始まっている。例えば、生活の苦しい家庭の子どもたちに、無料、あるいは低価格で手作りの食事を提供する 「子ども食堂」 だ。食事だけでなく、一緒に遊び、勉強もできるような、地域の子どもたちの 「居場所」づくりを目指した活動も多い。地域全体で子どもを見守り、苦しい生活に追い込まれている親たちをサポートできるような 「支え合いのまち」づくり、「助けて」と言える関係づくりの試みである。
 また近年、フードバンクと呼ばれる事業体が、企業から提供された「食品ロス」の缶詰や米、冷凍パン、調味料などを、福祉施設や子ども食堂、生活に困窮する家庭に届ける活動を展開している。

 昨年、友人が勤める福祉団体に1通のメールが入った。1歳と3歳の子どもを抱える30代の女性からで、夫は失職中。「今日は長男の誕生日なのに、ケーキを買うどころか、何も食べさせる物がない。もう明日に希望が持てない。夫が帰宅する前に子どもたちと心中しようと思う」という内容だった。
 その女性の家が私の奉仕する教会に近いということで、私は友人からの依頼を受け、フードバンクの米や食品を持って訪問した。すると彼女は、夫の病気や借金問題など、苦しさを泣きながら訴え続けた。しかし、最後には「もう大丈夫です。話を聞いてくれるだけでうれしいのに、食べ物まで届けてくれて、本当にありがたかった。夫と二人で頑張って子どもを育てていきます」、と話してくれた。
 かつて教会は、地域に生活する人たちの苦しみに対して開かれた場であり、「駆け込み寺」のような機能も果たしていたはずである。そして、その関わり合いの中で、天地の恵みや親神の情愛が語られるからこそ、「教え」が人々に実感されていったのではないか、と思う。

渡辺 順一(大阪府羽曳野教会長)
(「フラッシュナウ」金光新聞2017年7月23日号掲載)

投稿日時:2017/07/24 08:48:50.540 GMT+9



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