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「この瞬間を輝かせる力の源」【金光新聞】

医療現場で生きる「ありがとう」の力

 緩和ケアの現場にいる私が、がん患者から見せてもらった「ありがとう」という言葉の力。「世話になる全てに礼を言う心」に通じる実践で、身も心も生まれ変われる奇跡の力を、私たち人間の誰もが授かっていると信じている。

 がんの脊髄転移のため、首から下がまひして寝たきりとなり、緩和ケアを受けるAさん。ベッドで寝返りも打てない。食事も、たんの吸引も、排せつの世話も全て、誰かの手を借りなくてはいけない。元々の気性に病気の経過も相まって、いつもイライラし、ちょっとしたことで両親やケアスタッフに暴言を吐いていた。親でさえ、何を言われるか分からないとびくびくし、親子間に距離ができていた。ケアスタッフも皆、Aさんのケアを重荷に感じていた。
 私はAさんとの面談を重ねる際、いつも心中祈念しながら、どうすればAさんの心が助かるだろうかと求めていた。私とAさんとの信頼関係が少しずつ築かれてきた頃、Aさんは治らないだろうということを分かっていながら、「どこかで最先端の治療を受けると、まひが治せるのでは?」と、私に尋ねてきた。私はそれには直接答えず、代わりに工藤房美さんの著書『遺伝子スイッチオンの奇跡』を紹介した。
 工藤さんは、子宮頸(けい)がんで余命1カ月と診断された後、ある本との出合いにより自分は生かされて生きている存在だと心底実感し、自分を支え生かす働きに対してお礼を言わねば気が済まない思いになる。自分を生かそうとする細胞の一つ一つに、「ありがとう」と繰り返し唱え続け、何とがんを克服してしまったという。

 Aさんは、この話を素直に聞いてくれ、「私もやってみようかな」と、ケアスタッフに感謝の言葉を言い始めたのだ。「ありがとうを言うのは本当に難しい。自分に都合が悪い時は、素直にありがとうが出てこない」と、正直な気持ちを打ち明けてくれながらも実践を続けていった。
 次第に「表情が明るくなった」「暴言がなくなった」と、ケアスタッフからの印象も良くなってきた。さらに両親とも会話が増えた。かつては「絶対に家には戻りたくない」と言っていたAさんだったが、両親の世話を受けつつ一時帰宅もできた。ついには、徐々に指や腕が動くようになり、自分で食事ができ、車椅子にも座れるようになった。その変化に、本人も家族も、ケアスタッフの皆が驚いた。
 その後、療養目的のために転院が決まった際、Aさんは私に打ち明けてくれた。「私はクリスチャンで宗教の話は聞いてきたが、全くふに落ちていなかった。原先生と出会い、面談のたびにいろいろな話をしてもらって、毎回目からうろこが落ちた。これまで幾つかの病院で治療を受けてきたが、聞く話はいつも病気の話だけ。先生のような話をする人は一人もいなかった。私は先生と出会えたのは奇跡だと思う。神様が私に会わせてくれた。薬ではなく、言葉で心を癒やしてもらった」

 私はこの経験を、神様によって私がAさんに差し向けられたと同時に、私にAさんが差し向けられたと頂いている。私はAさんの生き方から学ばせてもらい、救われた。Aさんの「ありがとう」の実践は、金光教の「世話になる全てに礼を言う心」「和賀心」 に通じるだろう。 その実践を通して、Aさんは絶望的と思われた体の機能も回復し、人間関係も修復されていった。かつては負の連鎖に陥っていたものが、次々にプラスの連鎖に変わっていく。人はこれほど変われるものなのだ。Aさんは病気を克服できたわけではないが、少なくとも余生を輝く日々に変えることができたと信じている。「ありがとう」の実践から、今月今日今この瞬間をよりよく生きる力が湧いてくるということを実感させて頂いた。

原 信太郎 (長崎県・諫早教会/緩和ケア医)

投稿日時:2018/11/30 13:34:11.736 GMT+9



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