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一人一人の存在が輝く世に【金光新聞】

自分自身を開き、他人を受け入れる

 世界をグローバル化の波が席巻する中、国内外問わず、自分とは生活スタイルや価値観が大きく異なる人々と出会い、共生していく社会の形成が求められている。金光教の信仰を通して自分自身をさまざまな人々に開き、互いの輝きを引き出し合えるようなおかげが満ちた世界を一緒に生きていきたい。

 もし、初めて訪れる国で暮らしていかなければならなくなった時、あなたはまず何から始めるだろうか。
 取りあえずは、自分の通う職場や学校を見て、買い物をし、インターネットで情報を集めるかもしれない。でも、やはり信頼できる現地の人たちとつながりを持たないままで、長期滞在するのはとても困難なことだろう。
 私は金光教にご縁を頂く前、キリスト教学の勉強のために、数カ国で10年近く留学した経験がある。その中でも、アメリカのシカゴで過ごした5年間は、圧倒的にいい思い出が多い。それはひとえに、私の居場所となった、シカゴの小さなキリスト教会のおかげなのだ。
 その教会の牧師は白人の女性で、集まってくる人たちはアメリカ人はもちろん、インド人、プエルトリコ人、中国系マレーシア人の移民たち、全盲や身体に障害がある人たち、麻薬中毒の親とその子ども、性的少数者などだった。このような人々は普段、社会や学校の場では陰へと追いやられがちだったりする。そして、私も含め、外国人としてアメリカで生きるということは、「国民」が持つ選挙権や福祉サービスの権利を与えられずに生活をすることを意味する。それにとどまらず、人間として見られていないと感じたり、差別的な扱いを受けることもある。
 でも、その教会では違った。一人一人が輝き、存在感を発揮できた。私は聖歌隊のメンバーだったし、他の人たちも、礼拝の日には何かしらの役目があり、信仰の長さも皆それぞれだった。私が健康保険会社ともめた時、教会の牧師の夫が何度も交渉に足を運んでくれた。食べ物がない時に、インド人の女性が夕食をごちそうしてくれた。中国人の女性と友達になって、一緒にカラオケをした。みんなと泣いて、笑った。全てが特別な体験だったことを思い知ったのは、その地を離れた後だった。

 日本社会はいまや、転換点を迎えている。さらなるグローバル化の波を受けて、多くの外国出身の人々や、自分とは容姿、生活習慣、意見、価値観が異なる人々が隣り合って生きる社会になるだろう。
 金光大神は、「世界中、天(あめ)が下の者は、みな天地の神様の子である。天地の神様のおかげは世界にいっぱい満ちている(金光教教典理解Ⅱ佐藤光治郎14)」「心を広く持って、世界を広く考えて、手広くいかなければいけない(同理解Ⅱ市村光五郎17)」という教えを残された。
 自分と似た経験、感覚を持つ人との付き合いは楽で、心地が良い。でも、神様の言葉である右の教えを真摯(しんし)に受け止め、信じることで、自分と異なる信念を持つ人々や今まで全く違う経験をしてきた人たちに、自分自身を開いていくことが大切に違いない。他人を受け入れることは、時に異なる意見に耳を傾けたり、大切だと思っていた何かを手放すことにつながるかもしれない。
 しかし、その時、必ず神様は私たちを受け止めてくださり、互いの中におかげがいっぱい満ちている可能性をきっと見せてくださる。それは、受け入れられる側だけではなく、受け入れる側の喜びにもつながるはずだ。私がシカゴで過ごしたような特別な体験を、ただ〝特別〟なもののままにしないためにできることはある。

永岡 由美(宗教学/大学非常勤講師)
「フラッシュナウ」金光新聞2019年5月19日号掲載

投稿日時:2019/06/20 09:01:23.563 GMT+9



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