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人生縛る差別からの大転換【金光新聞】

多くの女性布教者が活躍する金光教

 金光教の教えが全国に広まっていく際、多くの女性たちが尽力してきた歴史がある。神様のおかげを頂いて、人生を大きく転換させた女性布教者たちの生き方に、私は励まされもし、現代社会の中でさまざまな抑圧を感じている人には、大きな示唆を与えてくれると信じている。

 金光教の教典を初めて見たのは、今から5年ほど前だったと思う。その時のことはよく覚えている。
 目次に「〇〇の伝え」というのがずらりと並んで、その中には女性の名前も多かった。「ここに名前がある方々の多くは、教典以外には後世に名前を残さなかった人も多いのではないか。そういう方々の話を聞き留め、その内容を信用して教典の中身として採用する金光教は、まさに民衆の宗教だなあ」と、とても感動した。いわゆる、教祖様に出会って一体どういう人生をたどったのだろうか、と思いを巡らした。
 数年たって私は、金光教の布教は多くの女性によって担われてきたことを聞いた。その女性たちが教会設立に貢献し、中には教会長を務めた女性もいたことは、非常に画期的だと思った。残念なことだが、多くの宗教がこれまで女性蔑視につながるようなことを説いてきた事実があるからだ。

 大勢いる女性布教者の中でも、私が特に心に留めたのは、東京都日本橋教会初代教会長・松井ツル師だった。それには幾つかの理由がある。
 一つは、ツル師が初めて「天地金乃神様」のお名前を知ったのが1886(明治19)年で53歳の時だったことだ。未信奉者だった私が、お道について知ったのは40歳手前だった。まだまだ新参者と、神様に対していつまでもよそ者気分が抜けない私に対して、ツル師は55歳の頃には、二代金光様の命を受けてお道を広めるため、京都から単身上京したのだから、励まされると同時に身が引き締まる思いがした。
 もう一つの理由は、お道の信心をされる前、ツル師が貸席業を営まれていたことだ。日本橋で金光教の教師になられてからも、土地柄もあって多くの芸者さんがお参りに来たという。私の祖母は、父親が商売を失敗したため、小学生の時に置屋(芸妓〈げいぎ〉を抱えて、料亭などに芸妓を仲介する店)に売られた。尋常小学校を卒業する時、学校の先生が女将さんに祖母を女学校に進学させてやってほしいと話したそうだが、それはかなうはずもなかった。花街の商売を畳んでお道の布教に身をささげたツル師を思うたび、祖母のことを思い出す。祖母はつらい人生を送った人だと感じている。もし祖母が金光様に出会っていたら、ツル師のように人生が一変していたかもしれない。「どうか神様、祖母のみたま様をかわいがってください」と願わずにはいられない。

 ある先生から、「金光教の女性布教者を理解するには、神様によって人生の『大転換』を経験していると考えてみるとよいのでは」と助言を頂いたことがある。
 私たちの生きる社会は一見、平等に見えて、実は性別や階層、貧富による差別がいまだに存在している。そして、過去が現在を縛り付けるような社会、人生をやり直す「大転換」を阻む社会だと感じた経験は、誰しもあるのではないか。自分の身に負わされたものにあらがえなかった祖母のように、現代でも生きることに制限が加えられているように感じる時があるだろう。
 ところが神様は、「何も知らぬ字一つ書けませぬものに」というツル師の人徳をご覧になって、限りないご神徳を現された。神徳を頂くことに、性別も階層も富も全く関係ない。多くの人を助け導いたツル師の「大転換」は、まずそのことを私たちに教えてくれているのではないだろうか。

永岡由美(宗教学/大学非常勤講師)


永岡由美(宗教学/大学非常勤講師)
「フラッシュナウ」金光新聞2019年11月24日号掲載

投稿日時:2019/12/18 09:08:00.072 GMT+9



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