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第3回 新しい視点で面白さ再発見【信心と理屈の間で】

金光教の本から感じた相性の良さ

イラスト・奥原しんこ
かんべむさし(SF作家)
 筆者の趣味は、読書と上方落語の鑑賞である。そして40代後半で金光教を知り、大阪市にある玉水教会に通わせて頂くことになったのだが、その決心にも趣味が大きく関係したので、そのことを書かせて頂く。
 信心させてもらおうと決心するまでには、大方2年近い検討と逡巡(しゅんじゅん)の期間があり、その前後、関係書籍を買って読んでいった。代表例は、玉水教会初代教会長の教話を収録した『湯川安太郎信話』と、『金光教教典』ならびに『金光大神』(旧ご伝記の縮刷版)である。
 それぞれ非常に面白く興味深く、俗な表現をすれば「はまって」しまった。不遜な言い方になるかもしれないが、自分は金光教と「相性」がいいと感じたのは、この三書籍によるところが大きいのだ。なぜなら、まず『湯川安太郎信話』は、明治、大正から昭和戦前に至る時代に語られた教話を、当時の修行生が筆録したものが原典になっている。だから、もろに大阪弁であり、しかも話の中に出てくる信者には、商家の主人、貸座敷業のおかみ、芸妓(げいぎ)、大阪相撲の力士などもいる。
「うわあっ。これは上方落語の世界そのままだ!」と興奮した当方、多種多様な逸話を暗記するほど、読み返していたのである。
 次に『金光教教典』には、読者もご承知のように、数多い信者の「伝え」が収録されている。これまた、幕末から明治にかけての時代の雰囲気、人々の暮らしの様相が、リアルに出ていたので興味深かった。武士や殿様も登場するのだが、備中の国に庭瀬や足守という小藩があったことも、当方初めて知ったのだ。
 岡山の藩士が戊辰(ぼしん)戦争で奥州へ行き、妻女が心配して毎日参ってくる話も載っている。教祖様が「毎日のことで気の毒であるから」と、無事に帰ってくる経緯を教えられたのであるが、これも非常に興味深かった。戊辰戦争を扱った書籍は数々読んできたけれど、西国の藩士の動きを伝える逸話には、同じく初めて接したからである。
 さらに、『金光大神』に載っている逸話にも、「面白いなあ!」とうなった事例が多かった。例えば、大阪の難波教会を開いた近藤藤守師の実家は、大坂城のそばで江戸三度飛脚を営んでいたという。公儀御用であり、「となると幕末の動乱期には、大坂城代からの密書なども、運んだのだろうな」と、想像が広がった。
 そんなわけで、信話集、教典、伝記を本当に面白く読み、まずは「知」の面での相性の良さを感じていたのであるが、その相性の良さは、「情」の面でも、感じさせてもらえた。
 教典の「荻原須喜の伝え」は、長患いに苦しむ彼女の父親が参拝し、教祖様のご理解を受けた話である。教祖様は信心を勧めながらも、「ここへ信心せえと言うのじゃない。どこでもよい」、一心に信じさえすれば、おかげを受けられるからと言われた。父親が「ここへ一心になります」と答えると、「それはいかぬ。帰って、一家相談の上でのことにせよ」とも、念を押された。
 その結果、一家で信心をして娘の病気も治り、本人、お礼に参ってきてありがたさに泣き伏したのだが、そのとき教祖様は、「よく、おかげを受けなさったのう。こんなにありがたい心に早くなれば、二カ年も難儀せんでもよかったのに」とおっしゃり、今のその心で、以後は人を助けてやるようにと教えられた。
 信心先の強制をしないことや、教え諭す口調と雰囲気の優しさ、穏やかさがありありと分かることに、当方「いい話だなあ」と感嘆していたのだ。
 伝記には、西瓜(すいか)の初なりを自宅の神前に供え、翌日それを持って参った人の話も載っている。途中で巡礼の親子と行き合ったところ、子どもが西瓜を欲しがって泣き出した。かわいそうに思って与えたため、参拝は手ぶらでということになってしまい、それを気にして表でもじもじしていると、教祖様が出てこられて、「西瓜の初なりは、ゆうべ、神様が、喜んでお受け取りになった」と、言われるのだ。
 これもまた、優しさ、穏やかさを感じさせてもらえる逸話であり、当時の農村の風景や夏の暑さが想像できて、セミの声なども聞こえてきそうだった。読みながら当方、以前テレビでやっていたアニメ番組「まんが日本昔ばなし」を思い出し、もともとそういう話は好きだから、一遍で覚えてしまっていたのである。
 ともあれ、「知」とともに「情」の面でも相性の良さを感じさせてもらえ、『湯川安太郎信話』で上方落語を連想して、『金光大神』からは「まんが日本昔ばなし」を思い出していた。その意味でも筆者にとっての金光教は、親しみやすい宗教だったのだ。
 ただし、以上に紹介してきた読み方は、当方の趣味や仕事柄もあって、特殊な事例なのかもしれない。「信話集は昔の大阪の生活や風俗資料、教典や伝記は幕末史や民俗学の文献としても、有益だろうな」とも思ったけれど、そんな捉え方に、眉をひそめる方もおられるかもしれない。しかしとにかく、その経験が、「信心をさせて頂こう」という決心の、大きな要素になったことは確かなのである。
 だから、我田引水の提案になるが、読者も「面白い書籍」という視点で教典や伝記を読み返されたら、新たに得られるものがあるのではないかと思う。
 ところで、「知」でも「情」でも相性が良かったのだから、それがそのまま筆者の「信」を進めさせたかというと、そうではない。こちらは稽古や実行が必要となるのだから、牛の歩みなのだ。

「金光新聞」2019年3月24日号掲載

投稿日時:2020/05/27 09:13:45.125 GMT+9



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