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日々の積み重ねが人生の宝に【金光新聞】

ステイホーム中の信心実践

 新型コロナの感染拡大により日常生活が大きく変化した。会いたい人に直接会えず、行きたい所に行けず、当たり前だったことが当たり前ではなかったのだと、多くの人が同じ思いを共有した。この状況の中を一歩一歩、神様と共に歩んでいく信心を求めたいと思っている。

「コツコツ」奉唱、書写、自分史
 「ステイホーム」。昨年来、繰り返し耳にした言葉だ。外出と移動を自粛し、自宅で過ごすことで、新型コロナの感染を広げないよう呼び掛けられた。「ホーム(home)」は本来、家屋というよりも家庭や安らぎくつろげる場所といった「安心の場」という意味合いがある。しかし、私は正直、教会に居ながら安心どころか、世界規模のパンデミックを前に不安の渦にのまれていた。
 この事態を信仰的にどう受け止めたらよいのかと困惑しつつも、「心配する心で信心をせよ」のみ教えをかみ締める日々を送っていた。そんな折、テレビで耳にした「終息には、予防対策を地道にコツコツと続けるしかない」との言葉は、私の中に不思議と得心を生んだ。新型コロナの終息を祈りながら、その「コツコツ」を頼りに始めてみたことがある。それは、日々のご祈念で唱えている「神前拝詞(しんぜんはいし)」の、文言の書き写しと1日10回の奉唱だった。
 以前にも10回奉唱はしたことがあったが、日を重ねるごとに何か課せられた重荷のようになり、本来の意味を見失いかけてしまった。その経験から、今回は「無理をせず、できる範囲で、楽しもう」と思ってスタート。できない時には、神様に「今はできません」と、素直な気持ちをそのまま話し掛けてみることにした。
 できないことを苦にせず、おおらかにゆるやかに、私が楽しみながら取り組む姿を見て、神様に喜んで頂けることを、まず大切にしようと思っている。数回ずつに分けて奉唱したり、書き写しができない時には奉唱を1回増やしたりと工夫しながら、現在も続いている。
 そして、今年新たに「自分史」作りに取り掛かることを思い立った。教祖様が神様との歩みをしたためられた「金光大神御覚書」に神習う気持ちで、これまで歩んできた道のりを文字にしつつ、当時の思いや今振り返って感じることを、思いのまま書きつけている。
 その当時はただつらく苦しかった出来事が、今となっては違ったものに感じられてくる。その出来事の向こう側に神様の存在を感じることができて、「神様が私をおかげの道へと導こうとしてくださった」と胸が熱くなる。
 私の内に静かに湧き上がってくる感動は、神様との共感であり、対話であるだろう。そこからまた書き進めていくことで、神様の思いに触れる感動に幾度も出合うことになるのだ。

「コツコツ」で心に柔軟と安定
 コロナ下の現在、人々はそれぞれできることをコツコツとやっているだろう。真面目にやればやるほど、苦しくなることもある。先が見えなければなおさらだ。それに、「地道にコツコツ」という言葉は、難儀真っただ中で、今すぐ助けてほしいという人には、救いにはならないかもしれない。
 しかし、難儀を抱えながらも、何とかしのいで生きているその一日一日の積み重ねが、人生の大きな宝となることは間違いないだろう。苦しい時は「苦しい」と口に出して言える場が必要だ。神様はどのような思いもお受け取りくださると信じている。
 不安な心を何とかしのぐために始めた私なりの「コツコツ」は、ストレッチをすれば体がほぐれるように、不安で凝り固まりそうな心に、日々柔軟さと安定をもたらしてくれている。決めたからには、と肩に力が入りがちだが、おおらかにゆるやかに、神様から頂いた取り組みの先に見えてくるものを楽しみに、ここからも続けていきたいと思っている。

文/岡部道榮(本部広前修徳殿副輔導/福岡県住吉教会)


投稿日時:2021/10/25 14:59:53.758 GMT+9



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