title.jpg

HOME › 未来を切り開く、 元気な信心【金光新聞】

未来を切り開く、 元気な信心【金光新聞】

困難を乗り越える体と心を求めて

 私は50年来、「体」を鍛え「技」を練り、「心」を磨く剣道を修練している。私の剣道の師は「『一人になっても寂しくない修行をしなさい』と師匠から教えられた」と。一人になっても禍に遭っても、残るものは何か。東日本大震災10年を経て、改めて気付かされたことを述べたい。

「天地と神」に通じる自分の体と心
 10年前、震災後1日何十回も余震が続いていたある日、参拝した方が「2万人もの人が犠性になるような禍を、神様はなぜ起こすのでしょうか」と尋ねてきた。
 私は「あなたは、前に病気で胃を摘出しましたよね。『体』が病んだ時、『心』は必死に助けてほしいと、一心に願ったでしょう。その『心』は神様も同じで、人間が悩み苦しんでいる時、一緒になって悩み苦しんでおられる。人に寄り添ってくださる温かい神様がわが道の神様だ。天地自然という神様の『体』の姿は、普段青く穏やかな海でも、突然黒く恐ろしい海と化す。大昔から幾多の天変地異を乗り越えてきたのが、私たちの住みかの地球であり、また人類の歴史でしょう」と述べた。
 教祖金光大神は、「天地金乃神のご神体は天地である。宮社に鎮まり納まっておられるのではない。真一心の心に神がおられて、おかげになる」とおっしゃった。「ご神体は天地」「真一心の心に神」と、「体と心」を「天地と神」と示し、そして、ご神名を「天地金乃神」と表現した。
 私は東日本大震災と原発事故を体験し、「福島の天地」が放射能で汚染される中、大地の浄化を願い、境内の芝生を掘り起こし除染し、お土地を拝んだ。そうした日々、この教えのように自分の「体と心」は「天地と神」に通じることを強く意識するようになり、天地が身近になった。正念場の必死さが、命に火をつけ真剣さを生み出し、さらに、「ご神名奉唱」と称して、「生神金光大神様 天地金乃神様」と、日々20回、30回と連呼するようになった。
 以前、教会近くの染物屋さんが、青地に白抜き文字で「きぼう」と染めたのれんを持ってきてくれた。国際宇宙ステーション日本実験棟『きぼう』にちなみ、依頼されたものだそうだ。そういえば、野口聡一宇宙飛行士が『きぼう』から地球と交信する画像後方に、いつも掲げてあるものと同じだ。そのことから、私は『きぼう』について注視し、ミッションが安全に遂行できるようエールを送っていた。
 先般も、野口氏は「新型コロナウイルスで、今、人類は危機にさらされているが、地球は長い長い歴史をもって、『この危機を乗り越えられるよ』と教えているような気がする。レジリエンス(立ち直る力)を発揮して、明るい未来をつくろう」と、勇気と希望を全世界に発信していた。その、いわれあるのれんを、春秋に仕える大祭には教会ホールに掲げている。

元気と希望心を持って末の末まで
 三代金光様の時代、戦災で教会が焼失し信徒も離散して意気消沈したある金光教教師は、ご霊地に参り、お取次を願った。その時、金光様から「教会は焼けても、信者がいなくなっても、信心さえ失わないなら、心配いりません。元気な信心を続けてください」とのご理解を頂いた。この取次によって気概を取り戻したその教師は、改めて「元気な信心」に取り組み、教会は造営されて信徒もだんだんと増えていったそうだ。
 人は、いよいよの時、何が支えとなり、どう生きていくのか。三代金光様は、「信心さえ失わないなら」と示唆してくださった。そして、その信心とは、艱難辛苦の中にも喜びを見いだしていける「元気な信心」である。
 元気は「元の気」と書き、「元」は神様と天地に通じる。大人が「神様に通じた元気と希望心を胸いっぱい」に持たずして、子どもたちに「迷わず失わず末の末まで教え伝える」ことはできない。素直でありのままの子どもたちが、明るい未来を切り開く。私たち自身が神人一体の「元気な信心」になり、子どもたちと共に、生かされ生かして生きる世界を希求していきたいと切願する。

文/金光榮雄(福島教会長)

投稿日時:2021/11/05 14:55:30.996 GMT+9



このページの先頭へ